隠退牧師の徒然記<484>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<484>
2019年6月10「こどもの日・花の日

聖書の言葉
「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、紡ぎもしない。」
新約聖書・マタイによる福音書6章28節)

 6月を迎えると、第二日曜日の「子どもの日・花の日」についてのいろいろな思いがよみがえってくる。そもそも私自身が現在の生き方になるのは「花の日」が原点なのである。その原点については、折にふれて証をしているので、皆さんの思いの中にあると思う。簡単に繰り返しておけば、日曜日の「花の日」に、入院していた母を近くの教会学校の子ども達がお見舞いしてくれたことである。日本の敗戦後、2、3年後のころである。見ず知らずの子ども達にお見舞いされ、花を贈られた母は、退院するやその教会学校に、当時、小学校3年生であった私を連れて出席したのである。花の日のお礼を述べ、今後は「この子」が教会学校に出席しますから、よろしくお願いしますと言うのであった。それからは日曜日になると教会学校に送りだされたのであった。それが基となって、その後、牧師となり幼稚園の園長になっているのである。
 今日まで50年間、牧師・園長を担ってきたが、「花の日」については特に重く受け止めていたのである。1979年9月から大塚平安教会に赴任したが、翌年の6月に迎えた「花の日」には、教会学校の子ども達と共に近くの病院を訪問している。病院の方では、当初は一般の入院病棟に案内され、入院されている皆さんにお花を差し上げる。その皆さんからはお礼のお手紙をいただいたこともある。しかし、その翌年には老人病棟に案内される。老人病棟といっても、ほとんど寝たきりの皆さんで、あまりよくわからない皆さんなのである。それで、枕元にお花を置いてくるのであったが、そういうことであれば、むしろこちらとしては訪問しなくなったのである。やはり、お花を差し上げて、その日の意味を記したお手紙を読んでいただきたいのである。訪問先を試行錯誤しいているうちにも教会と関係する社会福祉法人、綾瀬ホームとさがみ野ホームを訪問するようになる。利用者の皆さんに受け取っていただくのであるが、皆さんは心から喜んでくれるのである。両ホームには嘱託牧師として礼拝をささげるために赴いているが、「花の日」の後の礼拝では、贈られた喜びの余韻が残っていて、「こんどは、いつ、くるのか」と皆さんから次々に問われるのであった。
 病院やホームの訪問と共に教会員の皆さんも訪問している。なかなか教会の礼拝には出席できない方、病床にある方などを訪問し、子ども達がお見舞いの言葉をかけながらお花を差し上げるのであった。励ましをいただいたというお礼の言葉をいただいている。「花の日」の訪問は、お花を差し上げる側、受け取る側、それぞれの物語が生まれてくるのであるが、今日では困難な取り組みにもなっている。やたらに訪問ができなくなっているのである。今は人間同士の直接の触れ合いが希薄になりつつあり、電波等媒介を通しての触れ合いなのである。ネットで知り合ったということで、直接の出会いが、思わぬ事件に発展している。それでも新しい時代は、それなりに喜びを伝えることができるのである。Facetimeで画面を通してお話ができるので、直接の触れ合いではないにしても、大きな歓びなのでる。
 今は伊勢原幼稚園の園長を担っているが、こちらでは、「花の日」には、日ごろお世話になっている方々、消防署や警察を訪問し、皆さんに差し上げている。訪問すると消防自動車に乗せてくれたり、パトカーに乗せてくれたりする。子ども達は大喜びである。「この花のように…」という賛美歌を歌いつつ園生活が導かれている。

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幼稚園の子供たちが警察署を訪問し、お花を贈る。
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パトカーに乗せられ、マイクで「そこの車、止まりなさい」なんて言っている。
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消防署を訪問し、お花を贈呈。
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はしご車に乗せられ、奇声を上げながら喜んでいる。
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