隠退牧師の徒然記<505>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<505>
2019年11月4日「振り返ればお証しの数々」


聖書の言葉
あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。自分の体で神の栄光を現しなさい。
(コリントの信徒への手紙<一>6章19-20節)


11月の第一日曜日は、日本基督教団では「聖徒の日」(永眠者記念日)としている。教団に属する多くの教会は、この日を覚えつつ礼拝をささげている。しかし、教会によっては日本のお彼岸に合わせて、聖徒を覚えている教会もある。前任の大塚平安教会では、11月第一日曜日を「召天者記念礼拝」としていた。当日は召天された皆さんの写真を礼拝堂の前に飾り、召天された皆さんを心に示されながら礼拝をささげていたのである。隠退して六浦谷間の集会で礼拝をささげつつ過ごしているが、「聖徒の日」を迎えても特別に召天された皆さんを覚えることがなかった。ところが、今、召天された皆さんについて記しているのである。大塚平安教会は今年70周年を迎えており、記念誌を発行することになっている。この私にも原稿の依頼が来ている。
原稿を依頼されても、もはや退任しているので、何をどのように書いてよいか迷っていた。2010年3月に大塚平安教会を退任したが、その前年の2009年が60周年であり、もちろん現役牧師として記念誌には歴史を記している。その翌年には退任しているので、もはや部外者である。本当に何を書いてよいか迷っていたのである。ところが、あることから、何を書くかを示されたのである。大塚平安教会の一人の方とはメールやお手紙で連絡しあっている。過日のお手紙によれば、「大塚平安教会の墓地を鈴木伸治牧師が設計して造られたことを知り驚いています。」とのことであった。大塚平安教会の墓地建設については、1999年に発行された「宣教開始70周年・教会創立50周年」に詳しく記録されている。
大塚平安教会の墓地は1982年8月27日に献堂式を行い、完成したことになる。完成と同時に川崎の春秋苑に埋葬されていた四人の皆さんを改葬したのであるが、同時にその年の7月1日に召天された笠倉正道さんの埋葬も行われたのであった。30年6ヶ月間に埋葬された皆さんは、随分と多くなっている。しかし、召天者記念礼拝にあたり、教会員として召天された皆さんが必ずしもこの墓地に埋葬されているとは限らない。家の墓地に埋葬されるからである。召天者記念礼拝では、いつも教会員として召天され皆さんのお名前を紹介しているが、今の人たち、そして後の人たちは存じ上げない召天者なのである。そこで、私の在任中に召天された皆さんの簡単な紹介を残しておくことにしたのである。実際のお交わりがなくても、この教会の聖徒の皆さんを覚えていただくためである。
スペイン・バルセロナでは「聖徒の日」には、栗やサツマイモを食べながら召天された皆さんを偲ぶと言われており、さて私もいただこうか…。

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1982年に完成した大塚平安教会の墓地。中央にある台は説教台なのであるが、墓石だと思って水をかけてしまう方もおられる。向かって左が納骨堂、右は土に返す堂になっている。
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大塚平安教会員として召天された皆さんの名簿。この皆さんについての紹介を70周年記念誌に残すことにした。
noburahamu2.hatenadiary.org