隠退牧師の徒然記<509>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<509>
2019年12月3日「喜び歌いつつ」


聖書の言葉
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。(詩編100編1-2節)


娘の羊子が、去る11月26日に宮城テレビの番組に招かれた。さとう宗幸さんの番組だそうである。早速、放送の内容がネットで送られた。久しぶりに見るさとう宗幸さんである。いろいろと音楽関係の対談を行い、終わりにさとう宗幸さんのデビュー曲、「青葉城恋唄」を羊子のピアノで歌われたのであった。もはや白髪になっており、時の経過を示される。
青葉城恋唄」がさとう宗幸さんによって歌われだしたのは1978年頃である。その頃、陸前古川教会の牧師を務めていたが、古川から車で1時間離れた登米教会の牧師も担っていた。さらに登米教会付属の登米幼稚園の園長にも就任する。その幼稚園の先生たちと共に職員旅行をした。三人の先生たちを乗せて、私の運転で十和田湖方面に出かけたのである。先生たちは、車の中で、その頃に流行りだした「青葉城恋唄」を練習しながら歌っていたことが思い出される。そんなことで、この歌が身についてしまい、何かと歌う機会があるとこの歌を披露したものである。ドレーパー記念幼稚園に就任し、年末の感謝会ではカラオケで楽しんだのであるが、いつの間にか先生たちがカラオケに私が歌うべき曲を登録してしまい、仕方なく歌わせられたのである。千昌夫さんの「北国の春」、「味噌汁の詩」も持ち歌となり、いつもカラオケに登録されて、歌わせられたものである。
カラオケと言えば、今は全く歌う機会がなくなったが、現役の時代、前記したように幼稚園の先生たちと歌う機会が多かった。カラオケは結構隅々まで浸透しており、年末には牧師仲間の「お疲れ会」が開かれていたが、その時も、結構牧師の皆さんがカラオケで歌うのであった。教会では聖歌、讃美歌を歌っているのであろうが、案外と個人の生活では、この世の歌を口ずさんでいるのであろう。牧師の「お疲れ会」では、一人の牧師がカラオケマイクを持参するのである。コードをテレビにつなげばカラオケになり、これは便利だと、実は私も買い求めたのである。家で何回かカラオケで歌ったものだが、それっきりそのマイクは引き出しの中に眠っている。独りでカラオケを歌っても、おもしろくないのである。カラオケは誰かが聞いてくれるので歌うのである。しかし、カラオケ会で歌うのであるが、ほとんど聞いてないようである。皆さんは次に何を歌うか、曲名本を漁っているのである。
個人の生活では、歌なんか歌わないのであるが、その点、日曜日には礼拝で賛美歌を歌うこと、神様へのお祈りであるが、歌うことの喜びが与えられるのである。六浦谷間の集会として夫婦二人で礼拝をささげているが、カラオケならぬヒムプレーヤーで歌う喜びを与えられている。最近、この家から歌声が聞こえるね、と近所の人が。もっとも今は、孫の義也君の叫び声が外へ流れ出ているのであるが…。

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最近、この家から歌が聞こえるね、と近所の人が。
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今は、義也君の叫び声が外にも漏れているのであるが。
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