隠退牧師の徒然記<534>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<534>
2020年5月25日「賛美の歌をささげつつ 」


聖書の言葉
エスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない。」(ヨハネによる福音書3章3節)


5月も終わりを迎えているが、この5月は大事な日を迎えている。もう81回目の誕生日を迎えたのである。1939年5月10日が誕生日である。今、住んでいるところは私が4歳頃に転居した場所である。もともと横須賀市浦郷町で出生したが、近くに日本軍追浜飛行場があり、戦争が激しくなり現在の場所に強制転居になった。4歳頃かと思われる。転居してから2年後には敗戦となり、敗戦後の小学校1年生になる。23歳までこの場所で過ごすが、その年齢になって神学校に入り寮生活となる。卒業するや結婚するので、その後は70歳になるまで他の場所で住むことになる。しかし、牧師の現役を退任することにより、いわゆる実家である現在の場所の家に住むことになったのである。青少年時代に成長した家に、再び戻り老後の生活が導かれていることを喜んでいるのである。
当初、この界隈は里山に囲まれており。小高い山に囲まれていた。従って、遊ぶ場所と言えば里山であったのである。この小高い里山の峰を歩いていくと高取山に至る。結構なハイキングコースであり、中学生、高校生のころまで山歩きをしたものである。そして、里山に登っては長芋堀をする。結構苦労して数本の長芋を掘る。母は喜んで芋汁を作ってくれたものである。その里山の中腹には父が畑を開墾していた。いろいろな野菜を栽培し、近所の皆さんにおすそ分けしていたものである。小学生の頃、その頃は食べる物がなく、友達を連れてきては畑に行き、父が育てていたトマト等を食べたものである。
神学校を卒業し、東京の青山教会、宮城の陸前古川教会の牧師を歴任し、綾瀬市の大塚平安教会に赴任するのは40歳にもなっていた。その頃になると、六浦の実家界隈が様変わりするようになる。周りの里山が宅地造成で、すべて住宅街になってしまったのである。もはや里山なる印象はない。しかし。我が家は里山に囲まれた場所でもあり、谷間の印象でもある。それで現役を隠退してから、この実家で六浦谷間の集会として礼拝をささげるようになっているが、わずかに昔の面影を残しているのである。
81年間の人生を振り返った時、まさに祝福の人生であったと感謝している。両親、そして5人兄弟の末っ子であったが、幸せな家族であった。そして、連れ合いのスミさんと共に51年間、祝福の内に歩んできた。スペインにいる羊子、相模原にいる星子、海老名にいる優、我が家の子ども達は、まさに宝として与えられていることをいつも連れ合いと共に話しているのであった。
1979年に大塚平安教会の牧師に就任する。その頃の週報の扉に、毎週のように詩を掲載していた。娘の羊子が今になってその詩を掘り出したのである。そして、81歳を記念して作曲したのであった。この曲は、この5月16日にバルセロナサグラダ・ファミリアのミサで歌われることになっていた。横浜本牧教会の吉澤暢紘さんと所属する合唱団によるものである。ところが新型コロナウィルス感染予防のため、合唱は中止となる。吉澤暢紘さんもこの1月に召天されている。幻の賛美歌になったようだが、5月17日の六浦谷間の集会礼拝時に、バルセロナの羊子の伴奏で歌うことができた。81歳を記念して、自分の作詞をもって賛美できたことを、心から感謝し喜んでいる。

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昔の家。この家で23歳頃まで過ごす。
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昔の家を建て替えて、現在の家。ここで六浦谷間の集会としての礼拝をささげている。
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2020年は結婚51周年である。まあ夫婦で元気で過ごしていることは何よりである。
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81歳の誕生日に。家族がお祝いしてくれて。
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40歳頃に作った牧会詩に羊子が作曲してくれる。
noburahamu2.hatenadiary.org