隠退牧師の徒然記<578>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<578>
2021年3月29日「受難週を歩みつつ」

聖書の言葉
エスがロバに乗って都に入ると、大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。(マタイによる福音書21章8節)


キリスト教では3月末または4月の初旬に復活祭を迎える。今年は4月4日がその日である。そして、復活祭の一週間前は受難週の歩みとなる。さらに40日前から受難節が始まっている。復活前は十字架への道を歩むことになり、いよいよ受難週の歩みとなったとき、今年は3月28日であるが、十字架の救いを意味深く示されるのであった。キリスト教では受難節の歩み中、イエス様の十字架を仰ぎ見つつ歩むのである。キリスト教の国ではカーニバルが行われるが、この受難節に深くかかわるのである。すなわち、受難節はイエス様のご受難を仰ぎ見つつ歩むので質素な生活をすることになる。人間は、それなら今のうちに美味しいものを食べ、楽しく過ごしましょうということになる。それでお祭り騒ぎになるのがカーニバルというものである。そして、受難節が始まるや、なるべく質素な歩みを実践するのである。そして、最後の一週間は受難週であり、イエス様がご受難の道を歩まれたので私たちが救われたのであり、喜びつつ受難週を歩むのである。
しかし、日本のキリスト教では、受け止め方が異なっていた。受難節はイエス様のご苦難の歩みであり、信者としてイエス様のご受難に与りつつ歩む人が求められていた。昔のキリスト教の人たちは、この期間は克己の歩みをしたものである。克己とは、自分自身に苦難の課題を与え、実践しつつ歩むのである。例えば、受難節の期間、喫茶店でコーヒーを飲まないとか、バスで歩ける距離は歩くとか、こうして倹約できたお金を克己献金としてささげるのである。イースター前の一週間は受難週であるが、この期間はイエス様のご苦難に与りつつ歩んでいたのが昔の信者さん達である。私自身も昔の信者なのである。やはり自分ができる克己をしながら歩んだということである。しかし、今の受難節の受け止め方は異なっている。受難節は喜びの日であるということである。そのように示されたのがスペイン・バルセロナカトリック教会のミサに出席してからである。娘がバルセロナでピアノの演奏活動をしているので何度か滞在している。受難節、復活祭の時にも滞在したのである。受難週のミサに出席する。その日、子供たちが棕櫚の枝をもって教会に集まっていた。ミサが始まる前に庭に集まり、神父さんのお祈りをいただいて教会に入り、神父さんと共に聖壇に上がる。ミサが進む中で、子供たちが棕櫚の枝を床に打ち付けて喜びを表している。それはイエス様が都に入ってきたことを喜ぶことなのである。イエス様が都に入ることは受難の始まりなのであるが、このご受難は救いの始まりなのであり、イエス様の十字架の死は救いの完成なのである。そうであればイエス様のご受難は悲しみであるが、救いの原点であるので大きな喜びなのである。そう、受難週は喜びの時なのである。その喜びを表すことが受難週なのである、と示されるようになっている。

f:id:noburahamu2:20110417113928j:plain
スペイン・バルセロナのあるカトリック教会にて。棕櫚の主日ミサで集まる子供たち。
f:id:noburahamu2:20110417122413j:plain
棕櫚の主日ミサでは、子供たちも棕櫚の木を持って聖壇でイエス様を迎える。
f:id:noburahamu2:20110417105456j:plain
棕櫚の枝を売る露天商。

noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<577>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<577>
2021年3月22日「終わりを迎えて」

聖書の言葉
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。(ヨハネによる福音書21章25節)


3月は「終わり」の時であるが、しかし、4月からの希望があるので、むしろ喜びつつ終わりを迎えるのである。今までは、そのような思いで3月を迎えていた。しかし、今回の終わりは次の進路が決められてないので、4月からの希望はない。このような言い方は、若い時の表現であろう。3月で勤めていた幼稚園の園長を退任することになり、4月からは何かの定まった職務があるわけではないので、これで「終わり」との思いが強い。しかし、だからと言って、4月からの歩みについては希望がないと言っているのではなく、いろいろと示されているのである。職務を解放され、これからは草花に手を出し、せっせと歩こうかと。
13日が卒園式であり、16日が在園生の終業式であった。最後の終業式礼拝をおこなったとき、在園生の皆さんがお別れの時を持ってくれた。お友達や先生達のメッセージファイルが贈られる。またきれいなお花もいただく。帰宅して皆さんからのメッセージを読む。わずか3年間の務めであるが、皆さんからのメッセージを読むと、なんだか、ずっと長く務めたような、そんな思いになる。今回も終わりの時に記念品をいただいたが、今までもいただいた記念品が、今も語り続け、当時を思い出させてくれている。2010年3月に大塚平安教会を退任した時、教会学校からの記念品があり、いまでも掲げられており、また飾られている。そして、ドレーパー記念幼稚園の皆さんからの記念品がある。さらに、その後務めた早苗幼稚園における記念品もある。本当にいつまでも心に示される贈り物なのだ。今回の贈り物も、老後の歩みを励ましてくれるであろう。お友達からのメッセージで多いのは、「エンチョウーセンセー ダイスキ」であり、「セイショノ オハナシ アリガトー」であった。今回の園長の職務はお友達が示しているように、お友達とのお交わりであり、聖書のお話をすることであった。その務めをお友達が受け止めてくれたこととして、お友達のメッセージをうれしく思っている。卒業するお友達の皆さんからは、それぞれの写真が貼られてあった。いつまでも、この元気なお友達を忘れないであろう。
実は2010年3月に大塚平安退任するとき、送別会を開いて下さり、その時、記念写真を写したのであった。記念の写真はこの10年間、隠退後の歩みを励ましてくれていた。もちろん今でも同じであるが、最近思うことは、もうそろそろ掲示するのを止めようかと思っている。大勢の皆さんの集合写真であり、何時も皆さんを思い出しているのであるが、10年の間に数人が召されているのである。お元気なお姿と共に、今は天国であるとの思いは、歴史を変えてしまうようでもある。
お友達からのうれしいメッセージは、この心にしまわれており、折に触れて思い出され、励ましてくれるであろう。目に見える宝物より、心にしまわれている宝物なのだ。
f:id:noburahamu2:20210322091508j:plain
園長退任に当たり、お友達と先生達から贈られたメッセージファイル。
noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<576>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<576>
2021年3月15日「いろいろな暦を示されながら」

聖書の言葉
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。(旧約聖書詩編90編12節)

いわゆるカレンダーにより、日々の歩みを確認している。早くも3月の半ばを歩んでいるということである。そして、感覚的にも示されているが、もはや春の季節を迎えているのであり、カレンダーがそのメッセージを伝えているのである。今は梅が盛りであり、間もなく桃の花、桜の花が咲くのである.我が家の庭に咲く源平桃もかなり芽が膨らみつつある。3月末から4月の初めの頃は赤と白の源平桃の花を楽しむのである。暦ということでは、キリスト教の暦がある。今年は4月4日がイースター復活祭である。そのイースター前は受難節と言い、40日間イエス様の十字架への道を示されながら歩むのである。だから今は、春の到来を喜びつつもイエス様の十字架への道を示されながら過ごしているのである。
昨年の大塚平安教会のカレンダーは最後の晩餐の絵であった。一年中、最後の晩餐を示されながら歩んだのである。ところが、今年の教会のカレンダーの絵は聖画ではなく、クロード・モネの絵画が使われている。私が在任している頃から教会のカレンダーはキリスト教の聖画を使っていた。制作会社がいろいろな聖画を用いるのであるが、聖画を示されながらの一年の歩みは、それなりに意味深いと思う。ミレーの聖画等は意味深く示されていた。「落穂拾い」、「晩鐘」はカレンダーで示されていたが、パリを訪ね、オルセー美術館を見学した時、実物画の前に立った時の感動は忘れられない。今年はモネの絵画であった。当初、カレンダーを見たとき、モネの絵とは思わなかった。カレンダーに使われているモネの絵画は、「黄昏、ヴェベネツィア」との題である。最初にこの絵を見たとき、黄昏時の絵なので赤色がきつく見えるのであった。当初はこの絵がモネの絵であるとは思わなかった。モネと言えば「水連」であり、パリのオランジュリー美術館に展示されている「水連」の一連の絵が忘れられないのである。日本でもよく知られている「水連」の絵画が、一部屋の周囲に飾られている。カレンダーの黄昏の絵も心に示されるが、やはりモネと言えば「水連」の絵である。
暦のことを記しているのに、絵画に移ってしまったが、3月と4月はこの世の暦とキリスト教の暦が意味深く示しているということである。さらに触れれば、日本の暦というものがある。「大安」とか「友引」との意味でその日が定められているのである。大安は良い日ということで、この暦の日にはいろいろなイベントが行われる。以前、腰痛で入院したことがあるが、退院の日は大安の日と決められたのである。この時期は卒業と始業、受難節と復活祭、夫婦の結婚記念日、子供の誕生日、父や姉の召天記念日等、いろいろと記念する日が続く。長い人生のお恵みというべきか。そして順次咲いてゆく花の季節を迎えているということである。暦の歩みは人生の移ろいであり、いろいろな移ろいを示されながらの歩みを感謝しつつ受け止めているのである。さて、今日はどんな暦の移ろいなのか。

f:id:noburahamu2:20210315083052j:plain
今年のカレンダーに使われているクロード・モネの絵画。
f:id:noburahamu2:20110409113135j:plain
オランジュリー美術館にてモネの「睡蓮」を鑑賞する。
noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<575>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<575>
2021年3月8日「輝く星を世に送り出し」


聖書の言葉
あなたがたは、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光からあらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。(エフェソの信徒への手紙5章8-9節)


輝く星を世に送り出すときとなった。いわゆる卒業式である。幼稚園であるので「卒園式」と称している。しかし、私は「卒園式」と言わないで「卒業式」と称しているのである。幼稚園の場合、どうして「卒園式」と言うのであろうか。学校の場合は卒業式と称している。それは小学校、あるいは中学校の過程を修了したので、その業を卒業したことを記念して「卒業式」と称しているのである。そうであれば幼稚園の場合も同じである。幼稚園の過程を修了したので卒業式と称すべきなのである。「卒園式」と称すると、幼稚園との「お別れ」の意味合いとなるのではないだろうか。幼稚園としては、送り出した子どもたちとお別れしたのではない。幼稚園を土台として世に輝く星を送り出したのである。送り出した子どもたちではあるが、いつもその子どもたちを覚え、お祈りしているのである。そのように示されながら幼稚園の卒業式に臨むのである。
この3月で勤めていた幼稚園を退任するので、今後は輝く星を世に送り出すことはなくなる。最後の卒業式なのである。前任までの幼稚園、そして今回の幼稚園の卒業生は、40年間となり、輝く子どもたちを世に送り出してきた。いずれもキリスト教幼稚園であり、神様の御心に養われ、輝く星となって卒業していったのである。毎年、輝く星を送り出す喜びを与えられていたのである。幼稚園の卒業式では、卒業証書を渡しながら、卒業するお友達の頭に手を置き、祝福のお祈りをするのである。「神様を愛し、人々を愛する人になりますように」とお祈りする。そのように歩むことが祝福の人生なのであり、世に輝く存在になるのである。40年間で、詳しい人数はわからないが、約1000名にもなると思う。そのように多くの輝く星が世に存在することを喜んでいる。
毎年、卒業する子どもたちには新約聖書を贈呈している。その聖書の扉には園長として記念の言葉を書いている。聖書の言葉をそのまま励ましの言葉にしているのである。「地の塩、世の光になりましょう」と記している。一人一人の名前と共にこの言葉を筆字で記すのであるが、時には思い出して、心に示されてもらいたいのである。今までも数人の皆さんから、記念の言葉を大事にしていると言われている。記念の言葉は、どこかで生きるということである。そして、本人を励まし、導くのである。
私が神学校を卒業するとき、校長先生が卒業生を自宅にお招き下さり晩餐に預からせてくれた。その時、卒業生に校長先生自筆の色紙をくださったのである。その色紙は卒業以来、私の書斎に掲げられている。「ただ、この一事を務む」と記されている。牧師でありながら、いろいろなことに気を回すこともある。そんなとき、何時もこの色紙の言葉で修正されていたのである。世に輝く星の皆さんが、神様の御心により、いよいよ光り輝きますように…。

f:id:noburahamu2:20210308083641p:plain
神学校卒業時に校長先生から贈られた色紙に励まされ。

noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<574>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<574>
2021年3月1日「希望の3月を示されながら」


聖書の言葉
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
新約聖書・マタイによる福音書28章20節)


3月の歩みを示されるとき、やはり「終わり」の事柄であり、いろいろな思いが交錯する。この3月は年度の終わりであり、一年間の締めくくりでもある。外国の場合は二期制もあり、9月が締めくくりでもある。夏休みが終わったと思ったら、締めくくりでもあり、今までの歩みが終わりとなるのである。何となく不自然な思いでもある。3月の締めくくりは、長年の経験でもあるが、時期的にも適していると思っている。寒い冬を乗り越え、ようやく春を迎えたとき、その時が終わりである。春の息吹に囲まれながら、新しい歩みが始まる4月は、まさに始まりの時なのである。キリスト教はその春にイースターを迎え、復活のイエス・キリストに導かれるという喜びが与えられているのである。従って、3月の締めくくりは、もう気配を感じている春の息吹の中で迎えており、希望の終わりなのである。これから行われる卒業式は、次のステップの踏み台ともいえるであろう。
3月は、そんな思いで歩むのであるが、私の場合は、ステップではなく行き止まりである。4月からの、特に予定されている歩みがないからである。これまでの人生で、迎える3月は、いつも次なる歩みを見据えながら迎えていた。2010年3月に30年間勤めてきたキリスト教の教会牧師、幼稚園園長を退任するのであるが、これで終わりという思いはなかった。3月に退任しても、4月からは他の教会の牧師、園長の務めが決められていた。しかし、それも半年であり、9月には退任する。それで終わりかと思ったが、翌年の4月にはスペイン・バルセロナに赴くことになっていたので、希望の退任でもある。その後も外国旅行が繰り返されることになり、終わりのない希望が与えられることになる。2011年にスペイン・バルセロナへ、2012年も再びスペイン・バルセロナへ、2013年にはマレーシア・クアラルンプールで日本語教会のボランティア牧師で赴く、そして2014年にもスペイン・バルセロナへと赴くことになる。外国への旅はそれで終わりとなるが、2016年からは再び幼稚園の園長を担うことになり、結局5年間も務めたのである。
その園長の職務が終わるとき、81歳にもなっていた。3月は終わりであり、しかし4月からは新しい希望の歩みがあるものだと記したが、もうこれで、いわゆる「お勤め」なることはない。だからと言って希望がないと言っているのではない。4月からは何の職務もないが、隠退牧師としての歩みがある。今までも導かれていたが、日曜日には六浦谷間の集会を開いている。教会のように礼拝をささげている。ちゃんと説教を担当しているし、週報も発行している。そうなると、現役と全く同じとは言わないが、ある程度の職務が与えられているのである。職務が続いたので1時間の散歩をお休みにしていたが復活する。そして、今度こそ、片づけに集中できるだろうと思っているのであるが…。

f:id:noburahamu2:20210301090032j:plain
スペイン・バルセロナ在住の孫の義也君が、一時帰国して、散歩に出かける。
f:id:noburahamu2:20210301090353j:plain
庭でてんとう虫と遊ぶ義也君。
f:id:noburahamu2:20210301090516j:plain
地球儀でおばあちゃんにスペインを教えている義也君。

noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<573>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<573>
2021年2月22日「2月は思い出を筆に託し」


聖書の言葉
このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。
新約聖書・ガラテヤの信徒のへの手紙6章11節)


2月の歩みは何といっても「思い出を筆に託す」ことである。幼稚園の園長として、3月に卒業する子どもたちを覚えつつ、修了証書に名前を書いたり、贈呈する聖書の扉に励ましの言葉を書いたりしている。前任の幼稚園時代から行っているが、今年の幼稚園卒業生にも書いてあげることにした。現在の幼稚園は三年目になるが、前の二年間は聖書の扉に励ましの言葉を書くことはなかった。今までのこととして、聖書の扉には聖書の言葉が記されるのであった。書いた人の名はなく、聖句だけなのである。この三年目にして、昔、30年間の作業を思い出し、今年は最後の時でもあり、園長自らが聖書の扉に励ましの言葉を書くことにしたのである。以前は聖書の扉に直接書いていた。しかし、字を間違えることもあり、修正することで苦労したのであった。そこで、今年はあらかじめ用紙に書き、それを聖書に挟み込むことにしたのである。結構間違えて、何枚も書き直したのである。そして、それぞれの聖書に挟み込んでは固定する、そんな作業はいつまでも心に残るであろう。もともと筆字については、決して達筆とも言えないので、こんな筆字で申し訳ないと思いつつ記しているのである。
筆字で思い出すことは、中学生の頃、習字の時間があった。担当する先生から「下手だね」と言われたことが忘れられない。その後、その言葉がいつも心にあり、下手ながらもなるべく筆を持つようにしているのである。もちろん、その後、上達したとは思えないが、勇気をもって筆を持つことができるようになったということである。それにしても、よくもこのような字で記念の言葉を書いてきたものだと思う。前記したように出来栄えではなく、筆を持つ勇気だけは持っているということである。それにしても、聖書の扉に励ましの言葉を書きながら、そのお友だちをしばし心に示されるのであった。見えない交わりとしても、とても大切なひと時なのである。
それにしても連れ合いのスミさんは、なかなかたいしたものである。それほど習字をしているとは思えなかったが、通っているサロンで書いた筆字は、家中に掲示しているのである。
年に一度、デイケア施設等の展覧会が開催される。その時には、連れ合いのスミさんの筆字が、通っているサロンの代表であるかのように、コーナーの中心に飾られているのであった。それでいて、本人は実力をほのめかすわけでもない。飾られている事実を確認しながらも、やはり喜んでいると思う。決して、自分では評価しないと言うことである。
 今は自分で字を書かない時代になっている。年賀状にしても、すべてパソコンで作られているので、本人の特徴を見失っているのである。要するに、どのような字体であるにしても文字を書くことを喜びたい。勇気をもって筆を持ち、ペンを持つことなのである。

f:id:noburahamu2:20191201120931j:plain
作品展にて、孫の義也君も見学に来て。
<>
f:id:noburahamu2:20210222094330p:plain
スミさんの筆字。
f:id:noburahamu2:20210222094419p:plain
スミさんの書が家の中にあちことに。

noburahamu2.hatenadiary.org

隠退牧師の徒然記<572>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<572>
2021年2月15日「2月はいろいろと示されて」


聖書の言葉
唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
新約聖書・コリントの信徒のへの手紙<一>8章6節)


2月の歩みをしているが、以前は2月と言ってもそれほど心を動かさなかった。ところが、今はいろいろと心をめぐらす月となっている。前回も記したが、スペイン・バルセロナにいる娘の羊子に男の子が与えられ、2月12日で4歳にもなっている。その孫の義也君が羊子と共に2月20日ころには日本に帰国するとになった。世界的にもコロナの問題で、外国への旅は危険なのであるが、今回は帰国の理由がある。しかし、その理由については後日の報告にしておこう。昨年はコロナの問題で帰国できなかったので、久しぶりに会うことを喜んでいる。
最近は天皇が代替わりとなり、新しい天皇の誕生日が2月23日であり、お休みの日が増えたことはありがたいことだ。2月と言えば、2月11日が「建国記念の日」であり、お休みを喜びつつもこの日は「信教の自由を守る日」としている。特にキリスト教界では、建国ということで神話の世界と結びつけようとしているので、信仰の歩みを確かなことにしたいのである。さらに2月14日がバレンタインデーということで、お休みではないが、なぜかチョコレートが飛び交うことになっている。あまり気にもしてないのであるが、こんな年寄りにもお恵みをくださる方があり、また幼稚園のお友達もひそかに小さなチョコレート菓子を下さるのである。期待はしていないのであるが、例年のことなので、気にもなっている。しかし、今年は丁度良く日曜日になるので、その日の期待はないことにしよう。
実は2月14日ということで、毎年、記していることがある。お二人の方が2月14日に召天されている。お一人は井馬栄さんで、1986年2月14日、75歳で召天されている。もう一人は笠倉祐一郎さんで、2005年2月14日、77歳で召天されている。お二人とも大塚平安教会の教会員であり、お二人とも信仰の歩みをされ、教会の役員を担われ、信仰の証しを力強く示されたのであった。井馬さんは海上保安庁の長官まで勤められた方で、現職中は礼拝には出席できなかったが、退職されるや日曜日の礼拝には欠かさず出席されるのであった。牧師の健康を気遣い、竹枕や青竹踏みなるものを作ってくださった。神戸の教会で洗礼を受けておられる。その教会は日野原重明さんの父上が牧師であり、重明さんとは青年時代共に歩んだと言われる。そのことで日野原さんの講演会を開催することで準備したのであるが、残念ながら実現できなかった。もう一人の笠倉祐一郎さんは、息子さんが若くして天に召され、息子さんの信仰を受け継いで教会員になられたのである。お二人の信仰のお証を記すとしたら、書ききれないので、今回は簡単ながらお二人の存在にとどめておくが、信仰に生きた人の証は、いつまでも人々の心に残るのである。

f:id:noburahamu2:20210215080430j:plain
今年もお恵みが与えられる。いつまでも、ありがとう。

>

f:id:noburahamu2:20210215083254j:plain
スペイン・バルセロナ在住の孫の義也君、4歳の誕生日をお祝い。
<>

f:id:noburahamu2:20210215083449j:plain
キリスト教国では、今がカーニバルで、義也君もステージに上がってパフォーマンス。2月17日からはイエス様の十字架を見つめつつ質素な生活となる。

noburahamu2.hatenadiary.org