隠退牧師の徒然記<519>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<519>
2020年2月11日「喜びが与えられており」


聖書の言葉
幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。
ルカによる福音書2章40節)


幼稚園の執務は、まず職員礼拝から始まる。こどもさんびかで賛美し、聖書を読み、担当者がお祈りをささげ、主の祈りを共にささげるのである。その後は日案を確認し、それぞれの持ち場に着くのであった。園長は先生と共に門に立って登園する子どもたちを迎えるのである。元気よく登園する子どもたちであるが、保護者の皆さんと離れるときは、さすがに決心がいるようだ。お母さんとハグして、なかなか離れがたいお友達もいる。お母さんたちも園舎に向かうお子さんをいつまでも見つめておられる。子供たちは希望の原点であり、喜びの賜物なのである。家族、親子の愛を示されているのである。実は、私の場合、そのような経験がない。というのは、教会の牧師をしつつの歩みであり、教会と幼稚園は同じ敷地内にあり、子どもは一人で隣の建物である幼稚園に行くからである。幼稚園まで親子で向かうということがないのである。
スペイン・バルセロナの孫、義也君は昨年から保育園に通うようになる。しかし、かなり遠い場所であり、母親の羊子が送迎するのであるが、けっこう大変のようである。3歳になると幼稚園になるという。その義也君には2月12日が誕生日であり、3歳になるのであった。早いものである。生まれる子供に名前を付けてほしいと要望される。親が命名すればよいのではないかと思いつつ、すでに思考していたのであった。結局、「義也」君とした。今まで、気にもしていなかったが、「義」の意味を深く示されたのであった。義の上の字は「羊」なのである。その下が「我」であり、「羊のように我もなる」との意味になる。羊はおとなしく、優しい動物であるが、それでいてたくましい存在なのである。そのことから、「義」は「正しい」を意味し、「正義」とか「義人」の言葉が生まれてくるのである。母親が「羊子」なので、まさにふさわしい名であると思っている。「義也」君としたのは、旧約聖書に登場する「ヨシヤ王」にも由来する。ヨシヤ王は義人であり、神様の戒めをしっかりと覚えつつ支配したとして名君ともいわれている。(列王記下22章1-2節)。日本人でも「義」の名前が結構おられる。義雄、義弥、義子、義枝等のお名前に出会うことがある。「義」が付く名前が喜ばれているのであろう。
その義也君とは、昨年は3月と11月に両親の羊子とイグナシオさんと共に一時帰国しているので、楽しく交わったのであった。スペイン・バルセロナにいるにしても、毎週土曜日にはFaceTimeで画面で対面をしている。
遥かなる日本からスペインにいる義也君に、「3歳のお誕生日、おめでとう」と祝福を送りたい。すこやかな成長をお祈りしつつ。

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ミニピンシャのキュピと散歩
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いつもピアノを弾いているようである。
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お友達と楽しく遊び。
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