隠退牧師の徒然記<545>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<545>
2020年8月10日「時代遅れを楽しみつつ」


聖書の言葉
いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げる。(イザヤ書52章7節)


少なくとも10年近くも使用していることになる。携帯電話のことである。同じ機種としては、その前から使用しているが、2011年に同じ機種のものを使い始めたということである。それまで使っていた携帯電話は、実はスリの被害にあってしまったのである。2011年4月5月に、娘の羊子がバルセロナでピアノの演奏活動をしているので、連れ合いと二番目の娘・星子と三人で滞在していた。星子と共に二人で散歩をしているときにスリにあったのである。実に上手であった。散歩していると、男女の二人が何やら言いながら近づいてきた。そして、星子の背中を布でたたいている。見ると青っぽいものが付いていた。女性がそれを取るような仕草をており、頭にもついているということで布ではたいていた。一方、男性の方は、私の背中にも付いているというので、やはり布ではたいていた。鳥の糞かもしれない、と思っていた。どうやら、終わったようで彼らは去っていった。しばらく歩いてから、時間を調べようとズボンのポケットに入れてあるの携帯電話を出そうとする。しかし、ポケットには携帯電話がないのである。思わず、ズボンの後ろポケットに手を入れてみる。20ユーロ札がないのである。「やられた」と思った。何かが付いているということで、男性が後ろをパタパタとたたいていたのであるが、それに気を取られて携帯電話もお金も掏られていることに気が付かなかったのである。しかし、実に見事に盗んだものである。
携帯電話がスリにあったので、日本にいる我が家の子供・優に連絡し、すべての機能を停止してもらう。そして、警察に行き被害届をしたのであった。届の証明が必要なのである。帰国して携帯会社に届を提示し、新しい機種、同じものであるが得ることができた。それが2011年であり、それ以来、ずっと使っていることになる。2011年頃は、まだ携帯電話の方が主流であり、スマホなどの使用は少なかったのである。ところが今やスマホの時代であり、今更ながら携帯電話を使用しているのは、時代遅れも甚だしいと言うものなのである。しかし、スマホの時代になっても、使おうとしない存在である。新しくするとすれば、再びガラ携と言われるものである。書斎の卓上にはIパッドなるものを置いている。これでラインとやらでスペインの娘や孫と対面しているし、オンラインで礼拝をしている。いろいろな情報についてはパソコンで見たり、示されたりしているので、スマホを持たなくても不便ではない。むしろ、何かとスマホを利用することを嫌ってもいる。電車に乗ると、皆さんが一様にスマホを操っている姿を見る。本を読んだり、新聞を読んだりしている人がいないのではないが、今では珍しい光景なのである。かく言う己は、幼稚園に行くのは2時間もかかるので、本がたくさん読めると、当初は喜んでいたのであるが、本を読んだことはなく、もっぱら睡眠時間なのである。電話と万歩計、Cメールくらいの用途であるが…。

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10年以上も使っている携帯電話。
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スリは背中に青い液体をかけ、上手に盗む。
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携帯電話には万歩計が付いており、シルクロードを歩く設定がある。もう何回もローマに到達している。
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スペイン・バルセロナ在住の娘・羊子と孫の義也君とはIパッドのFaceTimeで楽しく会話している。

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