隠退牧師の徒然記<548>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<548>
2020年8月31日「何をして過ごそうかと」


聖書の言葉
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜なものだから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。安らぎが得られる。
(マタイによる福音書11章28-29節)


もはや81歳にもなり、後期高齢者の気持ちは何かと書き留めているが、わざわざ書き留める気持ちではなく、書くということは自ずとそのような傾向になるということである。高齢者のイライラの気持ちということ、それは今までは楽に、喜んで行っていたことができなくなったということなのである。庭の草刈りの時にも記したが、この際、庭中の雑草を全部処理してしまおう、なんて思いつつ草刈りを始めるが、15分も草刈りをすると音を上げてしまう。すぐに疲れてできなくなるのである。もうそれで草刈りは終了にするのであるから、つくづくと老齢を嘆くのであった。それならそれで、何も、一気に行うのではなく、毎日15分ずつでも続ければ、やがては終わりとなる、という結論に達している。
そういう場合もあるが、異なった事例に対処できないということである。幼稚園の送迎バスの運転手さんが、ご都合でその日の運転ができなくなった場合、代わりにどなたにお願いするか。今は悩みの種になっている。今はいろいろな代行サービスがあり、運転手さんを派遣してくれるところもある。しかし、派遣を依頼しても、一日や二日の代行には人材がいないと言われる。そのような場合、なんとかするのであるが、運転手さんがご都合でできなくなれば、「はい、わかりました」と言いつつ園長である自分が代わって担っていた。もう昔の若い頃のことである。宮城の教会で牧師をしていた頃、比較的時間がある牧師が幼稚園送迎バスの運転をすることになる。そのため大型自動車の運転免許を取得し、マイクロバスの運転をしたものである。結局、大型免許を持っているので、幼稚園の夏期保育、教会学校の夏期学校で郊外に出かけるときは、牧師の園長が子どもたちをマイクロバスに乗せて出かけたのであった。伊豆は天城山荘や箱根の諸施設へと出かける。宮城にいる頃は、我が家の子どもたちをマイクロバスに乗せて横浜の実家に来ること数度もある。その後、専任の運転手さんにお願いしつつも、ご都合でできない日もある。すぐに園長が代りのお勤めをしていたのである。今は、それができないことで、イライラしているのである。高齢になっているので大きな車を運転しないように、すでに大型免許は返納している。普通免許の返納も考えているのであるが。こればかりは、買い物や連れ合いのリハビリのため、短い距離でもあり、大事を取りながら運転してるのである。
もう若い時のような務めはできないということは、いつも心にとめていながら、ついその気になってしまうのである。それが「イライラ」の原因なのである。だから、ゆっくりと「本」でも読んでいれば良いのである。年を取ったら、ひたすら読書をしようと本棚にはぎっしりと本が。でも、今は読む気にもならない。まあ、パソコンくらいは開いているが…。

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若い頃はマイクロバスを運転し…。
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草ぼうぼうの庭でも、綺麗な「てっせん」が咲いたりして。
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あちらこちらに本棚があり…。

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