隠退牧師の徒然記<555>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<555>
2020年10月20日「ひと時の家族と共に」


聖書の言葉
彼らと共にそれぞれの獣、それぞれの家畜、それぞれの鳥、小鳥や翼のあるものすべて、命の霊をもつ肉なるものは、二つずつノアのもとに来て箱舟に入った。
(創世記7章14-15節)


「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言われているが、まさに9月22日の秋分の日を過ぎると気候ががらりと変わるようだ。それと共に一日が短くなってきている。短くなるというのは明るさでもある。幼稚園の執務の日は午前6時前には家を出る。夏の間は日中と同じくらいに明るかったのであるが、うす暗くもなっている。次第に暗さが増し、冬ともなれば暗い夜道を歩くことになる。それでもまだうす暗いので、歩きやすいと言える。まだ朝が早いという時間であるが、結構、犬の散歩をしている人を見かける。いつも犬の散歩をしているので、同じ人に出会い、いつの間にか挨拶までするようになっている。ところで近所の家には二匹の犬がいて、その犬たちの散歩と出会う。犬たちも慣れてくれて、尻尾を振りながら鼻を付けてくる。ところが最近は一匹しか散歩していない。少し前に天国に行ったと言われている。動物は人間より短命なので、今までも随分と悲しい思いをしている。昔は、我が家には犬を飼っていたし、猫もリスもいた。ひと時はそれらの動物たちと楽しく過ごしたが、今は生き物はいない。数年前に飼っていたリスを弔ってからは生き物は飼わないことにしている。別れるのがつらいし、それに加齢と共に動物の世話が大変だからである。
スペイン・バルセロナに在住の羊子の家には、ひと時は犬が4匹、猫が2匹もいた。その頃、我々夫婦も滞在しているので、それらの動物たちとは仲良しになっている。犬は4匹ともミニピンシャある。ルカ、バンビ、ルル、キュピの名前をようやく覚えたものである。猫はシャム猫ペルシャ猫であった。カムイ、パトラである。犬たちは、夕食中はおとなしく寝ているが、夕食がそろそろ終わりと思える頃、いつの間にかテーブルの下で、首をそろえて上を見上げているのである。必ずもらえると信じているのである。だから、ついおいしい肉を与えてしまうのだ。犬たちは、ちゃんと順番に与えてくれるのを知っているから、横取りはしない。この4匹を連れて散歩に出るのであるから、随分と気を遣うのである。一人で連れて歩いたこともあるが、いつも二人または三人で散歩するのである。
仲良くしていた犬たちであるが、やはり順次天国に行くことになる。今はキュピしかいない。猫たちも天国に行ってしまったので、寂しいのであるが、しかし、今は、動物以上にお楽しみがある。孫の義也君の元気な姿である。いつもFaceTimeで画面を通して対面している。お話し中にも新しいおもちゃを紹介してくれるので、楽しく過ごしてることを示されている。画面でお話しをしているとき、犬のキュピがゆっくりと徘徊しているのを見る。連れ合いは、思わず画面に向かって犬の名前で呼ぶのであった。ひと時の家族であるが、喜びと安らぎを与えてくれる存在であった。

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昔、子どもたちが小さい頃、飼っていた犬・チェリー
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リスも食卓で一緒に食事をしていた。
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羊子の家にいた動物たち。
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今は犬の家だけであるが、懐かしく思い出している。

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