隠退牧師の徒然記<565>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<565>
2020年12月29日「喜びへと一歩また一歩」


聖書の言、葉
わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わなければならない。誰も働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。
ヨハネによる福音書9章4-5節)


12月21日は冬至であった。この冬至に向けて日々暗い道を歩んでいたのである。幼稚園には週三日赴いている。朝は4時頃には起きている。いろいろと朝の支度をして家を出るのは5時30分頃である。まだ外は暗い。まだ暗い夜道を歩くのであるが、それでもちらほらと人影がある。今頃から駅に向かう人は、おそらく東京方面や遠くの務めなのであろう。私の場合も家から幼稚園まで電車を利用して2時間を要する。京急線六浦駅の5時50分頃の電車に乗る。次の駅、金沢八景駅で特急電車に乗り換え横浜へ。横浜駅の端から端まで歩き相鉄線へ。そこから海老名行きの急行に乗る。京急線ではほとんど座ることはできないが、混雑はしていない。相鉄線は下り線の始発であり、乗る人もそんなに多くはなく、必ず座れる。座ると間もなく眠ってしまう。約30分、海老名駅につく頃に目が覚めるのである。相鉄線海老名駅は工事中であり、回り道をしながら小田急線に向かう。小田急線は結構な混雑ぶりである。7時30分頃になっており、そのころは学生の皆さんも多い。伊勢原駅海老名駅から三つ目である。そして歩くこと10分くらいで、8時頃に幼稚園につく。2時間は要するのである。もちろん、そのころには明るいのであるが、家を出るときには暗い夜道であり、ひたすら思うことは、冬至になれば、それからは次第に明るくなるということである。冬至までは暗さが増していくのである。そして、冬至からは次第に明るくなってゆく。2月、3月ころには明るい朝の道を歩くことになるのである。冬至を迎え、これからは次第に明るくなってゆく朝の道を楽しみにしているのである。
冬至と言えば「柚子湯」である。我が家の庭には柚子の木があり、このころになると柚子の実が鈴なりになる。子供たちが来ては収穫をする。職場の皆さんや近所の人に差し上げて喜ばれているという。柚子はそんなに用途がないと思うが、飲み物に入れるとか、料理の付け足しにするとか、ジャムにする人もいる。一番好まれるのは「柚子湯」である。近所の家にも「柚子湯につかってください」との口上で差し上げている。それにしても毎年のことながら多量の柚子の収穫を喜んでいるのである。
そんなに広くもない庭であるが、三つの大きな喜びがある。今頃になると柚子の収穫である。そして、春の息吹が始まるころは蕗(ふき)の群舞である。庭一面に蕗の傘が立ち並ぶ。希望される近所の家には自由に収穫してもらっている。こちらから差し上げることはない。蕗の料理は渋で手が汚れるし、好まない家もある。そして、蕗がまだ最盛期であるが源平桃の花が咲くのである。鈴なりのゆずの実、庭一面に群舞する蕗の傘、そして赤と白の花が仲良く咲く源平桃の花、喜びが一歩また一歩と、繰り返されているのである。

f:id:noburahamu2:20201229084004p:plain
秋が深まるころ、庭には柚子の実が鈴なりに。
f:id:noburahamu2:20170404113045j:plain
早春ともなれば庭一面に、蕗の傘が群舞する。
f:id:noburahamu2:20201229084336p:plain
蕗の終わりころになると源平桃が咲き乱れ。

noburahamu2.hatenadiary.org