隠退牧師の徒然記<567>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<567>
2021年1月11日「思い出を楽しみつつ」


聖書の言葉
こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
(エフェソの信徒への手紙1章15-16節)


成人の日が今年は1月11日になっている。以前は15日に固定されていたが、祝日法が制定され、日曜日につなげて連休としているのである。その成人の日には、成人式に臨んだ幼稚園の先生になったばかりの方が、その晴れ姿でご挨拶に来られたものである。その度にツーショットで記念写真を写し、祝儀を差し上げる。そんな楽しい思い出があり、成人の日は、しばし美しい着物姿の皆さんを思い出しているのであった。今は、もちろんどなたも晴れ姿で来られることはないが、思い出だけでも楽しいものである。写真も残されているが、戸棚にしまい込んであるアルバムを探すのは大変である。
この時、楽しい思い出と言えば、お餅つきがある。1979年に大塚平安教会に赴任し、同時にドレーパー記念幼稚園の園長にも就任する。就任して2、3年後になると思う。知人の園長が、この時期になるとお餅つきをしているとのお話を聞くのである。それなら我が幼稚園でもやろうということになる。本来なら、臼の手配とか、いろいろな準備が必要であるが、簡単にお餅つきの開催に踏み切るのは、臼があるからである。私の実家の物置には、しばらく使っていない臼が眠っているのである。昔は、私の小学生くらいだと思うが、我が家でもお餅つきをしていた。近くに親せきが3軒もあり、それらの家も含めてお餅つきをするのである。それこそ一日がかりで行われていた。つきたてのお餅は本当においしいものである。その後、両親も高齢になりつつあり、餅つきなるものは行われなくなった。その後、お餅なるものは商店で売られるようになり、苦労してお餅つきをしなくなっていくのである。餅つきの機械まで登場するようになるのである。そういう中で、いろいろな団体や、幼稚園等がお餅つきを行うようになるのである。幼稚園で、園児たちのお餅つきは楽しいひと時になる。ドレーパー記念幼稚園でお餅つきを行い、子供たちも喜んだのであるが、先生たちの反省会では、とにかくいろいろと大変であるということであった。幼稚園では男性は園長だけであり、もちろん女性の先生たちも力を振り絞ってお餅つきをするのであるが、力負けもある。翌年も続けたのであるが、その後は行うことはなかったのである。
数年後、教会学校が開催するようになり、教会も壮年会や婦人会も参加するようになり、教会の大きな取り組みになっていくのである。毎年、1月になるとお餅つきとなるのである。そして、幼稚園にも呼びかけられているので、当日は大勢が集まり、お餅つきに関わりながら楽しく過ごすのであった。
成人式、お餅つき等、新年の楽しい取り組みも、今年もコロナ感染予防に留意しなければならないので、開催は困難であるが、思い出をしっかりと味わっておくことにしよう。

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前任の幼稚園時代、楽しいお餅つき大会を開催。
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お餅をこねこねするのは楽しいです。
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つきたてのお餅をおいしく、食べやすくしています。
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出来上がったお餅を家族で楽しく食べています。これらの写真は昔の記録ですが。

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