隠退牧師の徒然記<581>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<581>
2021年4月19日「いろいろな言葉を示されながら」


聖書の言葉
そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。「どうしてわたしたちは、生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」
使徒言行録2章6-7節)


スペイン在住の娘の羊子と子どもの義也が二ヵ月間一時帰国し、バルセロナに戻っていった。無事に帰ることができたのでほっとしたわけである。一時帰国するときにも厳しいチェックがあり、帰国しても二週間は自宅待機で外出はできなかった。滞在中も自宅にいることが求められ、絶えず連絡が入っていた。そしてバルセロナに戻る時にもコロナチェックでPCR検査を行い、証明を示しながら戻ることができたのである。このような状況の中で一時帰国したのは、連れ合いのスミさんの体調がよくないからであった。しばらく入院していたが、今は退院して自宅で療養しているので、戻っていったのである。
ところでこの二ヶ月間、孫の義也君と過ごしたことは大きな喜びであったが、いろいろと考えさせられたのであった。二ヵ月の間に、日本語をしっかりとマスターした義也君である。バルセロナに滞在しているときは、母親の羊子が日本語で話しているが、理解しつつもほとんど日本語で返すことはなかったと言う。ところが日本に滞在している間に、日本語を話すようになったのである。しかも一日中、日本語を話していたのであった。そして、バルセロナに戻ったとき、いつも話されているカタラン語が言葉として出なくなってしまったのである。日本に帰国中もラインで父親と対面していたが、父親はカタラン語であり、それに対して応答が出来なくなってしまったのである。日本に来る前は、日常語のカタラン語、そしてスペイン語を話していたのである。それが一時帰国している間に、日本語になってしまい、スペイン語、カタラン語がすぐに出なくなってしまったということである。スペインの国はスペイン語であるが、地域的な言葉が公に許されている。それがカタラン語である。バルセロナを中心とするカタルーニャ地方の言葉なのである。スペインはそれぞれの地域の言葉が認められているのである。ガリシア語、バレンシア語、バスク語アラゴン語等があり、スペイン語を一生懸命に覚えても、地域によっては通じないこともある。孫の4歳の義也君はスペイン語、カタラン語、日本語を理解できるのであるからたいしたものである。今は、なかなかスペイン語、カタラン語が出てこないようであるが、すぐに流暢に話すようになるであろう。
それにしても言葉の壁というものがあるが、そんなに気にしなくても、それなりに外国に過ごせるものである。数度にわたってバルセロナに滞在し、フランスやイタリアにも行ったりしたが、言葉であまり困らなかった。もっとも、いつも娘の羊子が通訳をしてくれるのであるが、なんとか通じるのである。言葉が通じなくても、一生懸命に日本語を話せば、相手も何とか理解してくれるということである。

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日本滞在中、アンパンマンが大好きになり、繰り返しビデオで鑑賞。
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楽しく過ごした日本であり、お別れを惜しみつつバルセロナに戻っていく。

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