隠退牧師の徒然記<582>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<582>
2021年4月26日「時代の先端に馴染みつつも」

聖書の言葉
高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな、ユダの町々に告げよ。
イザヤ書40章9節)

とうとうスマホを使うようになった。今まではガラケイと言われる携帯電話で、それで満足していたのであるが、スマホなるものを使う気持ちにはならなかった。世の中の人々は、なんであんなにスマホを見つめながら過ごしているのだろう、と思っていたのである。歩きながらスマホを見つめている人もあるが、多くの場合、電車に乗れば、すぐにスマホを見つめているのである。何を見ているのだろうと、ふと横眼で隣の人のスマホを覗いたことがある。ゲームのようなものであったと思う。中には結構な年配の人が一生懸命に見つめていたが、どうやら何かの読み物であるようだ。しきりにスマホの画面にタッチしている若者もいる。乗客の半分以上はスマホを見つめているようだ。私の場合はスマホを持たないからではなく、電車は居眠りの時間なのである。
スマホなるものに興味を示さなくなっているのは年齢のためであろう。年齢を重ねるようになると、あまり情報を求めなくなるし、画面を見続けることが億劫でもある。それにいろいろな操作が面倒でもあるし、今ではわからないのである。昔は、そう若いころは時代の先端を行く文明の利器はいち早く取り入れていた。携帯電話が普及する前はポケベルというものがあった。その頃、園長を担っていたのであるが、電話局の営業の人が来られ、ポケベルという通信手段が出来たので使ってもらいたいという。ポケベルは電話ではなく、呼び出し音の名前である。ポケベルが鳴ると発信場所に電話して要件を聞くのである。外出中にポケベルが鳴る。すぐに公衆電話で連絡するのである。昔、会議で早稲田にある日本基督教団の事務所に行く。終わって、夕刻なので友人らと食事をしているときにポケベルがなる。近くの公衆電話で自宅に電話する。教会に関わる青年が入院しているのであるが、危篤であるという。すぐにタクシーで横浜の病院に駆け付けたのであった。青年は持ち直してくれたので安心したのであるが、ポケベルのありがたさをしみじみと示されたのであった。そしてその後、携帯電話というものが普及し始めるのである。それもいち早く使用するようになる。当初の携帯電話は電話機の子機のようで、携帯と言ってもポケットにも入らないのであった。
文書関係ではタイプを使用していたが、ワードプロセッサーなるものが出始める。当初は玩具のようでもあったが、次第に発達するようになる。そして、パソコンになるのである。時代の先端に馴染んだのはパソコンまでで、その後のスマホなるものは興味を示さなかった。もはや加齢にもよるのである。加齢に伴う認知症を食い止めるためにも、時代の先端に馴染んでみようかと思っているのであるが…。

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もはや両手でピアのを弾くようになっており。
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楽しい写真を写してくれる孫の義也くん。

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