隠退牧師の徒然記<585>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<585>
2021年5月17日「母の日を示されながら」


聖書の言葉
アダムは女にエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
(創世記3章20節)


「5月5日は子どもの日、5月の第二日曜日は母の日。では5月10日は何の日でしょうか。」こんな質問をしたものである。大塚平安教会牧師の頃、二つの障碍者施設に関わっており、それぞれ礼拝を捧げていた。その礼拝のお話で利用者の皆さんに問いかけていたのである。最初はわからなかったが、毎年の質問なので、利用者の皆さんは覚えておられる。「牧師先生の誕生日じゃん」と答えてくれる。ちゃんと覚えて下さる利用者がおられてプレゼントとまで下さる。折り紙で作った物とかで、ありがたくいただくのであった。
その私の誕生日が日曜日と重なることがある。この日は母の日なのである。重ならなくても、我が家の子供たちは、いつもセットでお祝いしている。誕生日と母の日が重なること、それはまた私の人生に深く関わっているのである。私の人生の起点は母にあるからだ。私が牧師であること、幼稚園の園長であること、その出発点は母なのである。ここまで記すと、毎年のように紹介している私の母になるのであるが、今回は私の母の証しは割愛しておく。その代わり、我が家の子供たちの母について記しておこう。
その母とは、連れ合いのスミさんである。1969年にこれから牧師になる者と結婚し、その後は牧師夫人、牧師の奥さんと言われながら歩むことになる。一方、結婚したので三人の子どもが与えられる。子ども達を育てたのである。私は教会の牧師、そして幼稚園の園長であり、職務に勤しむあまり、子育てはスミさんに委ねぱなしであったと思う。子供たちの成長の過程を振り返ったとき、私の存在はどこにもないのであった。スミさんが子ども達を育てたと思っているのである。まだ、いろいろと書きたいが割愛しておく。
そして、2019年3月は金婚式であり、その記念として宮城県の古川を家族で訪問したのであった。この古川で6年半過ごしたのであるが、子供たちの成長期であり、懐かしい日々に思いを馳せたのであった。当日は教会の礼拝にしても、娘の羊子のピアノリサイタルにしても多くの皆さんがおいで下さり再会を喜んでくださった。中でもスミさんとの再会を喜んでくれたのである。そのスミさん、子どもたちのお母さんが、今年になって身体を損ねている。大動脈解離、脳梗塞はいずれも軽いのであるが、療養しつつ過ごしている。そのお母さんを子ども達が交代で見守っている。スペイン在住の羊子が子供の義也と共に二ヵ月間、一時帰国して滞在した。この時期、スペインにしても日本にしても出入国は大変なのであるが、何とかクリアしたのである。星子、優たちも自分の生活があるが、何かと見守りつつお母さんと共に過ごしている。三人の子供たちを健やかに育てたお母さんなのである。三人の子供たちが、社会の皆さんから喜ばれていること、大きな宝物を与えられているのである。子どもたちの存在が大きな励みになっている。

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2年前の写真であるが、元気に過ごしていた。
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母の日に贈られたお花を喜んでいる。 noburahamu2.hatenadiary.org