隠退牧師の徒然記<586>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<586>
2021年5月24日「聖霊の導きがあるので」

聖書の言葉
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
(エフェソの信徒への手紙2章22節)


今年の聖霊降臨祭、ペンテコステは5月23日であった。この日については、社会的には知られていない。キリスト教の祝い日である。クリスマス、イースターのお祝いの日については知られているが、ペンテコステとなると、お祝い日であっても知られていないのである。キリスト教はクリスマス、イースターペンテコステの暦を歩みつつ、信仰が導かれている。クリスマスはイエス・キリストが出現した日、イースターイエス・キリストが死んでよみがえり、復活した日、ペンテコステイエス・キリストが復活し天に昇るが、聖霊として降った日なのである。キリスト教はこの三つを信仰により受け止め、信じて歩んでいるのである。そのペンテコステを今年もお祝いしたのであった。ペンテコステにおいてイエス様のお弟子さんたちが聖霊をいただき、力強く立ち上がったように、今日においても聖霊のお導きを願いつつ歩むのがキリスト教徒なのである。現代においても聖霊が与えられるのである。臆する状態を励まし、力を与え、希望と勇気を与えてくれる、それが聖霊の導きなのである。
現役の頃、教会の牧師、幼稚園法人の理事長、幼稚園の園長、包括団体の書記、刑務所の教誨師、少年院の面接委員、施設の嘱託牧師等、いろいろな職務を担いながら歩んでいた。よくもこれだけの職務を同時に担いながら過ごしたと思っているが、聖霊のお導き、お助けであったと示されている。2010年3月には現役を退任すねることになり、担っていたすべての職務から解放される。その後もいくつかの職務があり、2021年3月に担っていた幼稚園園長を退任する。これで、すべての職務から解放されたのである。それでも六浦谷間の集会で礼拝を担当したり、隔月であるが三崎教会の講壇に立たせていただいている。本当に緩やかな歩みとなっている。そのような歩みであるが、今年もペンテコステを迎えたとき、聖霊のお導きを示されるのであった。だから何をするというのではなく、聖霊の導きは、現在の歩みを喜ぶということなのである。
現在の歩みと言えば、夫婦で何気なく語らうことであり、昔を思い出しては喜ぶことであり、我が家の子供たちの存在を喜び、祈ることである。中でも孫の存在を喜んでいる。最近、娘の羊子がピアノを教えているのであるが、そのお弟子さんたちの発表会が開催される。孫の義也君の出番が最初であり、来場の皆さんの暖かい拍手をいただいたのであった。その孫を示されるとき、今までかかわってきた幼稚園のお友達の存在を示されるのである。幼稚園を卒業した皆さんが、その後、成人してから起業、地域に根付いていることも示されている。いろいろな分野で過ごしている。一人一人の存在を示されたら枚挙にいとまがない。なんとも喜びの歩みであったかと示され、聖霊のお導きを振り返っている。

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赤い花はアブチロンであるが、ペンテコステと名付けている。
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孫の義也君がピアノ発表会で成果を発表。
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子ども達の成長を祈りつつ、思い出している。

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