隠退牧師の徒然記589

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<589>
2021年6月14日「美しい花に示されつつ」


聖書の言葉
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
(マタイによる福音書6章30節)


いつも気になっていること、それは庭の雑草であり、家の周りの雑草でもある。3月までは週三日であるが、勤めのため出かけていたので、気にはしつつも雑草の処理はできなかった。それで、4月になり、もはや職務がないので、日々家で過ごすことになり、気になっている雑草に向き合うことになる。少しずつであるが、庭の雑草刈りをしている。しかし、2時間も雑草刈りをしていると、疲労困憊になり、もうやめてしまう。一日、雑草に向き合えば、家の周りがすっきりするのであるが、まだ雑草が残っている。もたもたとしているものだから、すでに雑草刈りをしたのに、また新しい雑草が生えてきて、再び同じ場所の雑草刈りをすることになる。
本当はこの庭には、テッセンが咲き、アブチロンが咲くのに、ことしは見かけない。雑草刈りをしているうちにも、それらの花も刈ってしまったのであろう。雑草の処理が出来たら、何かの花を植えようかと思っている。花ばかりではなく、野菜を育てて自給自足としようかと思っているのであるが。花と言えば、この庭はいくつかの花がにぎわう。いずれも木の花であるが、3月の終わりから4月の初めにかけては源平桃の花がきれいに咲く。その花が終わるころになるとミカンやユズの花が咲く。姫リンゴの花も結構咲くのである。また今はアジサイも咲いている。以前は梅の木があり、桑の木があり、いずれもきれいな花が咲いていた。木に咲く花は、毎年美しい花を咲かせるのであるが、地面の上の花は、雑草と共にあるので、処理されてしまうことにもなる。これからは地面の花をたくさん咲かせようと思っているのであるが。しかし、雑草と言っているが、雑草もきれいな花を咲かせている。今は雑草の中でもドクダミ草が群舞している。ドクダミ草の花を十字架草と称したのは、今は天におられる佐竹正道さんである。県会議員や施設長までされていたが、心に示される歌を詠まれていた。「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」
ところで今回は「こどもの日・花の日」について書いておこうとしたのであるが、雑草談義になってしまった。6月の第二日曜日は、キリスト教では「子どもの日・花の日」として礼拝をささげている。この日は教会学校に出席する子ども達もきれいなお花を礼拝堂に飾り、神様のお恵みを感謝するのであった。そしてみんなで持参した花は、昔は病院等を訪問し、入院されている皆さんをお訪ねし、差し上げたのであった。実は、そのお恵みをいただいたのが私の母であった。入院していた母を近くの教会の日曜学校の子どもたちがお見舞いしてくれたのであり、お花をいただいたのであった。母はその後退院するのであるが、お花をいただいたお礼のためにその日曜学校に行き、そして私をも連れて行ったのである。そして、私のキリスト教の人生が始まったのであった。

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雑草の中にもきれいな「テッセン」が咲き…。
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「スモーク」も庭を彩り…。
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ドクダミ草が多く生え…。
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十字架草とは良い名前である。

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