隠退牧師の徒然記<590>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<590>
2021年6月21日「美しい心へと導かれ」


聖書の言葉
花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。(イザヤ書35章2節)


キリスト教の教会では6月の第二日曜日を「こどもの日・花の日」としている。子どもたちの良い成長を祈る日なので日ある。そのために教会の礼拝堂に花を飾り、子ども達を祝福したのである。この行事はアメリカの教会で始まり、日本にも伝えられる。しかし、日本の戦争中はキリスト教にたいして厳しく監視されていたので、「こどもの日・花の日」の行事はなかったのかもしれない。それが日本の敗戦後には復活しているのである。日本の戦争の敗戦は1945年であるが、それから3年後には「こどもの日・花の日」が行われているのである。1948年頃になるが、私の母は病院に入院していた。その母をお見舞いしてくれたのが、病院の近くにある教会の日曜学校の子どもたちである。その日は「こどもの日・花の日」であったと思う。突然知らない子供たちが病室を訪れる。そして、お花をいただいたのであるが、「早く良くなってください」との言葉をいただいたのであろう。見ず知らずの子ども達から花を贈られ、お見舞いの言葉をいただいた母は、感動には余りがある。その後も入院していたのであろうが、秋には退院している。そしてある日曜日、母はその頃は小学校3年生であった私を連れて、母を見舞ってくれた教会の日曜学校に行ったのである。花をいただいたお礼を述べると共に、今後は息子が日曜学校に出席しますからよろしくお願いします、と挨拶したのであった。それからは日曜日になるとその教会の日曜学校に通わされたのである。そのことが基となって、一人の牧師、伝道者が生まれたのである。
毎年、6月になると自分の原点を示される。「花の日」が原点であり、母はキリスト教の信仰はさておき、どのような姿勢であろうとも「他人様に喜んでもらう人になってもらいたい」との願いから、息子を日曜学校に通わせたのであった。その課題は私の生涯の目標でもある。まだ達成したとは思わない。思えば「花の日」が原点であるが、母の名前は「ハナ」である。何か不思議なお導きでもある。しかし、6月に「花の日」があるが、6月はあまり花がない状況である。牧師になってから、毎年、この6月には「花の日」の礼拝をおこなうのであるが、子ども達が持参する花は、多くの場合「アジサイ」なのである。花屋さんにはいろいろな花があるが、この時期は比較的に割高でもある。家庭に咲く花はと言えば、「アジサイ」なのである。どんな花でも良いということである。お花にお恵みを下さっている神様は、まして私たちにはそれ以上のお恵みを下さっていることを示めされたいのである。そしてお恵みに支えられているのであるから、自分に与えられている賜物を用いながら、日々、喜びつつ歩むことなのである。「花の日」の意義を示される歩みを、6月の歩みから示されている。

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庭の雑草の中にも、きれいな花が。
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庭の一角にはアジサイの花も。
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空を仰げば、すがすがしい青い空が。
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二十歳頃に描いた母の絵。モデルになった母を思う。

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