隠退牧師の徒然記<592>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<592>
2021年7月5日「ぬくもりを感じるので」

聖書の言葉
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(テモテへの手紙<二>3章16節)


スペイン・バルセロナに在住の娘の羊子から連絡があり、母親であるスミさんに筆字を書いてもらいたいという。書いてもらいたい筆字の文字は四つある。これからリリースする予定のCDケースの内容表示の上書きにするのだという。早速、スミさんに書いてもらうことにした。スミさんは専門に書道の修行をしたわけではないが、若い時から筆字に接していたので、「好きこそ物の上手なれ」で、結構な字を書いている。そのことについては、サロンに通っていたので、そこで書いた筆字が施設の合同展覧会に出品されている。スミさんは娘の羊子が、お母さんの上手な筆字をCDケースの上書きにしたいとの要望を受け止め、さっそく筆を握ったのであった。出来上がった作品をスキャンして送ったのであった。
そんなことがあったので、私の筆字歴を顧みたのであった。「下手だね、君の筆字は」と言われたことが原点となっている。中学時代、書道の時間があり、その時、つくづく言われた言葉が「下手だね」ということであった。多くの場合、そのように言われてしまうと、敬遠したくなるものだが、いつも先生の言葉が頭から離れなかったのである。そして、中学を卒業して高校に進んだのであるが、毎日、朝の登校時の道すがら「下手だね」と言われた書道の先生に会うことになる。いつも帽子を取ってはお辞儀していたのである。だから高校生の三年間は「下手だね」と言われた先生にお会いすることになり、いつまでも「下手だね」が忘れられない言葉になっていたのである。その後、神学校に進み、卒業して牧師になったとき、「下手だね」の言葉が頭にあったが、だからと言って書道で習字をすることもなかった。習字はしなかったが、書くことには注意を払うようになっていたことは確かである。ワープロの時代になり、パソコンを駆使するようになっても、筆字に対する思いは変わらなかった。何かと筆を使っては書くようになっていた。
牧師として、教会の皆さんに聖書や讃美歌を贈呈したりするときも、いつもその扉には記念の言葉を記していたのである。そして、幼稚園では毎年の卒業生には聖書を贈呈しているが、一人ひとりの聖書に記念の言葉を筆字で書いていたのである。卒業生が多い時には、昔のことであるが50名もいたのである。そうすると、今まで随分と多くの皆さんに筆字のサインをしていることになる。筆字で書かれた聖書の言葉が、その人にとって、人生の励ましであることを願っているのである。「下手だね」が原点であるのだが。
娘の羊子は今までもCDのリリースをしている。「スペイン曲」「日本曲」「グラナドス曲」であるが、今回は自作の曲をまとめ、リリースすることにしている。そこに母親のスミさんの筆字が入るので、祝福の記念CDになるだろう。

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スペイン曲演奏のCD
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日本の曲を演奏CD
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グラナドスの曲を演奏
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スミさんの書

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