隠退牧師の徒然記<594>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<594>
2021年7月19日「鶯谷を喜びつつ」

聖書の言葉
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。(マタイによる福音書6章26節)


鶯谷」と言えば、東京の山手線の駅名である。上野駅と日暮里駅の間が「鶯谷駅」である。今回は「鶯谷」を説明しているようであるが、その駅に乗り降りしたことがない。神学生時代、6年間は目白の神学校寮に住んでおり、もちろん何かと山手線を利用していた。友人が「日暮里」を「ひぐれざと」と言っているので、「にっぽり」と修正してあげたことが忘れられない。その次の駅が「鶯谷駅」なのである。上野の森の一角にも位置しているので、鶯の鳴き声を喜んでいたのかもしれない。黒田清輝記念館や横山大観記念館があるという。一度は散策したいと思っていたが、果たすことはなかった。今日は、あまり関係のない地名に思いを馳せているが、住んでいる場所が「鶯谷」と思われているからである。
「六浦谷間の集会」として自宅を礼拝の場としているが、まさにこの谷間は鶯の谷間なのである。朝、目覚めると共に鶯の鳴き声が聞こえる。初夏の頃は、「ケキョ、ケキョ」くらいの鳴き声であったが、今は「ホー、ホケキョ」ときれいな鳴き声になっている。ほとんど一日中鳴いているので、うるおいを与えてくれているようだ。しかしまた、この谷間はいろいろな鳥の鳴き声で、騒がしい時もある。鶯の鳴き声はわかるが、他の鳥たちの鳴き声を聞いても、何の鳥なのかわからないのである。「チョットコイ」と鳴くチョーセンキジはわかっているのだが。まあ、何の鳥でも、騒がしくても鳥たちの谷間になっていることは何よりである。時々、リスも負けじと「ケラケラ」と叫んでいる。
もはや7月も後半になり、夏の風物詩が盛りになりつつある。蝉の声である。蝉たちも、朝も明けるとともに鳴き出すのである。スペイン在住の娘の羊子家族が一時帰国した時、朝から蝉たちの大合唱で目覚めさせられたと嘆いていた。今はミンミン蝉、そのうちツクツク法師、そしてヒグラシ蝉の時期になると、夏の風物詩が終わるのである。夏の風物詩が終わっても、里山の名残でもある山の斜面の樹木が動物たちの憩いの場になっている。この地には私が4歳の頃から住んでいるのであるが、里山に囲まれた安らぎの谷間であった。今は、里山の面影がないくらい住宅が密集している。どこもみんな住宅になっているのである。近くにあったかなり広い貸し駐車場も閉鎖されている。四軒の家が建てられるとか。次第になくなっていく地面でもある。
しかし、我が家の裏の斜面、谷間の樹木はなくならないだろう。このオアシスを鳥たちが喜び、思いっきり鳴いている。リスの一家も居住している。他にも動物たちが生息しているのであろう。単に「鶯谷」ではなく、動物たちの安らぎの森なのである。その緑を見つめるだけでも癒されるのであった。

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緑の傾斜は鶯の宿である。
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いろいろな鳥、動物が生息している。
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この緑を眺めるだけでも癒される。

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