隠退牧師の徒然記<595>

牧師の隠退徒然記(2016年3月1日~)<595>
2021年7月26日「オリンピックを示されながら」

聖書の言葉
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。(詩編121編1-2節)


東京オリンピックが開催された。2021年7月23日の開会式をテレビで観戦する。始めから終わりまでテレビの観戦をしたのであるから、たいしたものだと思っている。いつもは、最近はテレビをあまり見ないし、4時間近くもテレビを観戦するなんて、考えられないことでもある。今回は時間もあるし、ゆっくりとくつろいでいるので、観戦する気分になっていた。その日の日中にはオリンピックのメインスタジアムの建設過程をテレビで放映していたので、感心しながら見たのであった。人間の知恵のものすごさをつくづく示されたのであった。そして、いよいよ諸競技が展開される。日頃の訓練、忍耐を示されるときともなる。
80歳を迎えている人たちは、二回目の東京オリンピックを体験することになる。1964年は、何をしていたのであろうかと、しばし歴史を整理するのであった。牧師になるため神学校に入学したのは1963年である。その翌年にオリンピックが開催されたのである。神学校に入るや寮生活であり、東京の目白で過ごしていたことになる。しかし、オリンピックの時には東京にはいなかったのである。神学生の二年生になっていたが、その夏休みに夏期伝道と称して北海道の余市教会で過ごしていたのである。7月の半ばから赴き、8月末に戻ったので、オリンピックの開催中は東京にはいなかったし、夏期伝道に集中していたので、関心もなかったのである。夏期伝道というのは、牧師になるための実習でもある。教会の主任牧師の指導をいただきながら実践を学ぶのであった。
オリンピックと共に、日頃示されていることは運動選手の皆さんである。力を振り絞って競技に臨み、良い成果であれば、人々から賞賛される。しかし、力を振り絞っても良い成果が得られない場合もある。運動選手は競技をすることなので、競技ができなくなれば、やむなくその運動から離れることになる。その後どのように過ごすのであろうか。後継者を育てるとか、そのような職務もあるが、限られた人々であろう。それでも、若い時に運動をしたことが、その後の人生に良い結果をもたらしていると思っている。祝福の人生であると思っている。
私自身、若い頃は何かと運動競技に参加したものである。野球も近所の友達と楽しくしたものである。中学や高校生になったときには卓球部に入ったりしたが続かなかった。まあ、お楽しみ程度であったが、いくつかの運動競技を経験したのであった。その後、青年になり、牧師になってから、登山を喜ぶようになり、友達や我が家の子ども達と共に山登りをするようになる。一人で登山することも。これらの運動が、今の支えになっているのではないかと思っているのである。再び登ろうかと、気持ちはあるのだが…。

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20歳頃かと思われるが、八ヶ岳登山。
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牧師になって聖地旅行。エジプト領シナイ山に登る。標高2285m。

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