隠退牧師の徒然記<614>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<614>
2021年12月6日「きらめく星なのに」

聖書の言葉
彼らが出かけると,東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。(マタイによる福音書2章9-10節)


2021年3月まで幼稚園の園長を勤める。幼稚園まで片道2時間を要するので、朝は6時前には家を出るのである。今の時季、12月から始まる冬の季節は寒さがこたえる。まだ暗いのである。その暗い道を歩くとき、きらびやかな光を見ることになる。もの静かな通りの一角が、きらびやかな光で騒がしくなっている。クリスマスのイルミネーションであるが、多くの家は夜中を過ぎれば消灯するのであるが、こちらは一晩中、光輝いているのである。それはそれでこの家クリスマスなのであろう。以上は思い出であり、今は夜の外出がないので、きらびやかなイルミネーションを見ることもない。もはや12月にもなっているが、クリスマス飾りは11月から始まっており、今更イルミネーションに驚くことはないのである。おそらく、街を歩けばクリスマスソングが流れ、夜ともなればクリスマスのイルミネーションで賑やかであろう。どこかの国の町が巨大なクリスマスツリーのイルミネーションに点灯することで、町中がそのツリーに注目していることがテレビで知らせていた。そして、点灯されるや大騒ぎになり、いわゆるクリスマスのお祝いを述べあっている。今やクリスマスは光の祭典にもなっている。
日本ではクリスマス飾りは個人的な取り組みでもある。家庭にしても団体にしてもクリスマスツリーを飾り、クリスマスをお祝いしている。街を歩けば、商店街もクリスマス一色になる。どこを歩いてもクリスマスなのであるが、しかし、日本の場合は、個人的な取り組みなのである。そのように述べているのは、キリスト教国では、公的にクリスマスの取り組みをしているのである。クリスマスの時期にスペイン・バルセロナやイタリア・フィレンツェに滞在している。その時の印象から示されていることは、クリスクスの取り組みが公的に行われているということなのである。街の通りには、どこまでも続く電飾の飾りつけが施されている。市役所前の広場には、それはそれは大きなクリスマスの箱庭が作られている。広場の半分はクリスマスになっているのである。クリスマス休暇という設定がある。普段は教会には行かなくても、クリスマスには教会に行き、ミサに出席し、神父さんが抱いている赤ちゃんイエス様にキスをするのである。それでクリスマスのお恵みを示され、希望の日々となっていくのである。どこの国の人たちも、大切なイベントには参加しているのである。日本の国でも、普段は出かけることもない神社仏閣に、新年のお参りに出かける。それが普通の生き方なのである。クリスマスも普通の生き方の皆さんには、大切なイベントなのであった。
きらめく星は静かな空に輝いていた。東の国の博士さん達は、その静かなかがやきから救い主の出現を示されたのである。今は、静かな環境にいるので…。

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バルセロナの市役所の前の半分はクリスマスの箱庭になっている。
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バルセロナの町の通りはすべて電飾になっている。
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お祝いのメッセージを示しながら。
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イタリア・フィレンツェの広場に設置されている馬小屋。等身大のヨセフさんとマリアさん

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