隠退牧師の徒然記<644>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<644>
2022年7月4日「暑い暑いと言いながら」

聖書の言葉
エスが湖の上を歩いて船に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」(新約聖書ヨハネによる福音書6章19節)

記録的短期の梅雨で、6月であるのに真夏日が続くと思っていたら、梅雨明けですよと言われる。7月中旬までは雨の日を覚悟していたのであるが、何となく気がぬけた思いである。この暑さで、なるべくエアコンをつけて、暑さをしのぐよう奨励されている。それでもこの暑さで熱中症により重体になる人もいる。命を落とすことも。暑さの中でも、エアコンを利用しない人は、電気代の節約でもある。エアコンを利用するのを奨励するなら、電気代の軽減を検討すべきなのである。暑さの中で、自ずと水に接することが求められる。冷たい水を飲んだり、冷たいタオルを首に巻いたり、エアコン以外でも暑さしのぎをしているであろう。なかでもプール遊びに気持ちが動く。この歳になってプール遊びなどはしないが、バルセロナの孫の義也がプール遊びをしているとの便りであった。スペインはもはや夏休みに入っている。そして、夏季保育が行われる。その夏季保育の最初の日はプール遊びであったという。郊外のプールに出かけ、楽しく過ごしたという。幼稚園ばかりではなく、家庭にあっても近くのプールに行くとのことであった。
私は成長の段階で海の近くに住んでいたので、水泳といえば海水浴である。プールでは泳いではいないのである。高校生になって、体操の時間は水泳となる。海での泳ぎであるものの、プールでも泳げるのである。だからクラスの中でも、私は泳げる部類になっていた。そして、校内の水泳大会が開かれることになり、出場選手を決めることになる。泳げる部類になっているので選ばれてしまう。しかし、学校のプールとは異なり、市営の大きなプールでもあり、こんなプールで泳いだこともないので、恐れを感じる。結局、選手として選ばれたものの出場しなかったのである。
結局、プールで泳いだという思い出はほとんどない。高校時代の学校のプールの他は記憶にはない。綾瀬市に住むようになり、子ども達の成長の時代であり、何度かプールに行った。プールサイドで子どもたちを見守るためでもある。しかし、プールで泳いだ経験が全くないのではない。一つは、娘の羊子がバルセロナに住んでおり、何度か訪ねては滞在している。その時、娘は近くのスポーツジムに連れて行ってくれる。サウナと共にプールも設置されていた。そこで泳いだということである。さらに別の場所での思い出がある。マレーシア・クアラルンプールに一時的な牧師に招かれている。牧師館がコンドミニアムのマンションの一室にある。そのマンションの庭に大きなプールがあった。連れ合いも共に赴いたので、連れ合いは毎日のようにプールに入っては楽しんでいた。そのプールで何度か泳いだのである。日本のプールで泳いだ経験がないのに、外国のプールの思い出しか残っていない。しかし、思い出しては暑さをしのいでいるのである。変な暑さ対策であるが…。

孫の義也の海水浴。
プール遊びではないが、画面を見ては涼しさを感じて。
クアラルンプールのマンションのプール。
久しぶりにプールで泳ぎ。マレーシアにて。

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