隠退牧師の徒然記<650>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<650>
2022年8月15日「何よりも喜びを持ちながら」

聖書の言葉
紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族も洗礼を受けた。(使徒言行録16章14-15節)


大塚平安教会に赴任したのは1979年9月である。8月の終わりころに宮城から転居する。転居の荷物整理をするうちにも日曜日を迎えることになる。9月の第一日曜日である。前任の牧師は6月をもって退任している。そのため、本来は次の専任牧師が就任するまで代務者が必要であるが、9月には新しい牧師が就任するので、代務者を置かず、7月と8月の日曜日の説教は地区の周辺の教会の牧師、また知人の教師に依頼していた。そして、事務的なことについては神学生がいたので、彼が担っていたのである。日曜日を迎えるにあたり、教会として準備が必要である。何よりも週報を発行するのである。そのために牧師として週報の原稿を書くこと、版下はタイプであり、それは教会員が担当している。そして印刷など、神学生が何もかも担当してくれたのであった。だから、しばらくは説教作成に集中すればよく、教会の事務的な作業はすべて神学生が担ってくれたのである。彼はその後2年間は神学生としていろいろと担ってくれたが、いよいよ卒業して、彼もまた他の教会の牧師として歩みだしたのであった。事務的に堪能な場合、教会の牧師のつとめも祝福の務めとなるのである。彼はその通り、赴任した教会で祝福の歩みが導かれていた。彼がいなくなった時、それからは、もちろん教会の皆さんが教会の歩みを支えてくれたのであるが、牧師は進んで事務的なことも担わなければならなかったのである。それについては後記することにして、迎えた9月の第一日曜日は緊張しつつ礼拝に臨んだのであった。
その礼拝が終わり、出席した皆さんを玄関でお見送りする。その時、一人の女性が、洗礼を申し出たのであった。洗礼とは、イエス・キリストの十字架の救いを信じて、自らの歩みを悔い改め、今後はイエス様のお導きを信じて歩む決心である。しかし、最初の説教で、洗礼を申し出られても、ご本人がどのような方なのか存じ上げないし、どのくらい礼拝に出席しているのかもわからない。それで、その申し出は保留とさせていただく。そしてその後、役員会で話し合った結果、クリスマスに洗礼式を執行することにして、それまでの三か月間は準備期間としたのであった。赴任した教会で、最初の礼拝で洗礼の申し出を受け、これは大きな励みともなったのであった。牧師として歩むとき、やはり説教を通して十字架の福音を宣べ伝えるので、それにより洗礼を受ける人がある、これが牧師の勤めでもあるので、やはり最初の礼拝で洗礼の申し出があったことについては、励みともなったのである。
前週、2022年8月7日に久しぶりに大塚平安教会で礼拝説教をしたのであるが、その礼拝が終わるや洗礼第一号の女性がご挨拶くださった。改めて40年前を振り返り、共に歩んだ日々を喜び合ったのであった。そして次々に皆さんがご挨拶くださったのであるが、皆さんとの出会いが祝福されて30年間、喜びつつの勤めが導かれたと思っている。

1968年に建設された教会。
礼拝堂、正面の聖壇と講壇。
礼拝堂内部。1979年に赴任した時は、このままの状態であった。

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