隠退牧師の徒然記<668>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<668>
2022年12月19日「個人的なOUTLOOKは他にもあり」

聖書の言葉
キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。
(フィレモンへの手紙23節)

刑務所や少年院の職務を担うようになるのは、同じ部類の職務を担った経験があるからである。それは保護司と言う職務である。1985年と言えば、教会に就任してから6年目になるが、教会と関りがある施設の園長の勧めで保護司の職務を担うようになる。保護司の場合、特に宗教界の人が選ばれるわけではないが、何かと人との関りを持つ人が選ばれるようだ。横浜保護観察所の保護司と言うことになる。社会的に道を外れた人が社会復帰して、刑務所から出所した場合、しばらくは保護司に生活を報告しながら歩むことになる。あるいは刑務所や少年院に入らなくても、保護司のもとで指導されながら過ごすのである。その場合は青少年が多い。最初はそのように青少年の指導をしていた。保護司の職務を担い始めたころ、我が家の子供たちは中学生が上の子であった。保護司を担うようになって、保護観察の青少年たちは、保護司の家にやってきて、生活状況を報告するのである。教会の中に住居があったが、玄関は教会とは別に住宅用の出入り口があった。従って、そちらの玄関から出入りしてもらっていたのである。教会の信者でもないのに、教会の玄関からの出入りは気が咎めることであろう。だから自宅の玄関の出入りは、保護観察の青少年にとっては出入りが楽であった。しかし5年間、保護司を勤めて退任したのは、この自宅の玄関のためでもあった。教会にはいろいろな方が訪ねてこられる。時には、我が家の子供たちも応対することもあるのである。たまたま子供が応対した時、保護観察の少年であったが、我が家の子供とは昔の同級生であったのである。お互いに、気まずい思いをしたのであった。このような場合は、今後も続くことになる。そのように場合、面接は場所を異にして行うこともできる、と言うことを後で示されたのであるが、退任の理由にしたのであった。
保護司の経験は、非行に走る青少年の気持ちを示され、牧師として、園長として学びの時でもあった。保護観察の人たちが、保護司のもとに来るのであるが、これから保護観察を受ける人の家族を訪問することも職務にもなっている。まだ、本人は刑務所や少年院にいるのであるが、近日、出所した場合、家族がどのような姿勢で迎えるのか、そのような調査もしなければならない。保護観察所から依頼を受けて、そのような家を訪ねるのであるが、保護司の身分と共に、実際の自分を示さなければならない。牧師であり園長であるという立場は、家族にとって、マイナスイメージにもなるようだ。秘密は守るということは原則であるが、社会的にも顔が広い人にもなるので、秘密が維持されるかとの心配があるようだ。そのようなことも退任の理由でもある。保護司のつとめは、青少年と接することで、いろいろと参考になり、続けていたかったこともあるが、やはり退任した方が良いと判断したのである。1990年に退任したが、それから4年後の1994年になって刑務所や少年院の職務を担うようになる。やはり、保護司の経験があったからである。

教会と幼稚園の佇まい。

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