隠退牧師の徒然記<674>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<674>
2023年1月30日「もう一度心を燃やしてみようかと」

聖書の言葉
だからわたしたちは落胆しません。わたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされています。(コリントの信徒への手紙<二>4章16節)

もはや新年のこと等記せないが、新年の賀状の中に、いつまでも心に残るご挨拶があった。「今年は80歳になりますが、80台の詩を書き残したいです。」と示されていた。この方にはすでに何冊かの詩集を出しているので、拝読させていただいている。この方とは実に60年前に出会っているのである。私が神学校に入り、2年生になったとき、北海道の教会に夏期伝道実習に出かけたのである。夏休中に教会で牧師としての実習をするのである。ところが教会には寝泊りするところがなく、教会の隣は寺であり、そのお寺で過ごすことになる。キリスト教の牧師修行がお寺のお世話をいただきなから実施したということである。そのお寺に過ごすうちにも、お寺の住職さんの娘さんと出会うことになる。その方は小児麻痺であり、歩くことも話すことも困難であつた。そのためか、ほとんどお寺の中で過ごしていたようである。夏期実習の間、お寺のお嬢さんであるが、教会の青年の集いなどにお連れしたりしたのである。実習が終わり、神学校に戻ったのであるが、以後、その方とは文通でお交わりをしたのである。最近では賀状だけのお交わりであるが、いつも詩を詠む姿勢を示されていたのである。80歳になるにつけ、「それなりの詩を書きたい」との気持ちを示されたとき、なんか、励まされた思いでいる。
実はスペイン・バルセロナに在住の娘の羊子から、信仰の詩を書くように促されているのである。その羊子はピアニストとして演奏活動をしているが、作曲の分野でも人々の感銘をいただいている。私は1979年に大塚平安教会に赴任するが、毎週の週報には牧会詩なるものを掲載していた。40歳そこそこの頃であり、未熟そのものであるが、臆面もなくいろいろな詩を掲載したものである。娘の羊子が、その詩の中から二つほどに曲を付けたのである。賛美歌として歌うようになる。その賛美歌を六浦谷間の集会の礼拝で歌っているが、次第に皆さんにも歌っていただくようになる。昨年、2022年8月に久しぶりに大塚平安教会の礼拝に招かれたのであるが、その時、私達親子が作詞作曲した賛美歌を歌っていただいたのである。羊子はバルセロナサグラダファミリアのミサでは奏楽を担当している。時にはミサの中で聖歌を歌っていただくのであるが、羊子の知人でもあるソプラノ声楽家の吉澤のぞみさんが歌ってくださったのである。ミサの聖餐式中、鈴木伸治作詞、鈴木羊子作曲の「主の祝福」がうたわれたのであった。こんなにきれいに歌われ、自分ながら感動したということである。もう一つの作詞作曲は「生きて愛して祈りつつ」である。この歌も、いくつかの場所で歌われている。
冒頭で紹介した賀状の御仁のお気持ちに励まされたのであるが、もう一度心を燃やす、と言ってもなかなか火がつかないものだ。この歳になって、何かに向かうというのではなく、日々の歩みを受け止めるだけで、自ずと心が燃えてくるのだと思う。この六浦谷間の生活を受け止め、花鳥風月を味わうことであろう。

サグラダファミリアのミサで奏楽をする。
賛美歌「主の祝福」がうたわれるようになって。

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