隠退牧師の徒然記<675>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<675>
2023年2月6日「そろそろ土いじりをしてみよう」

聖書の言葉
他の種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。(マタイによる福音書13章8節)

立春を迎える。2月4日は、もはや冬ではなく、春になったということである。もっとも寒さはこの先も続くのであろうが、もはや春であるということで、ホッとしているのである。次第に暖かさが増してくるだろう。今迄、庭を見つめ、家の周りを歩くにつれ、片づけなければと思いつつ、やはり寒さに負けて、家の中に閉じこもったままなのだ。もう少し暖かくなったら、庭の面倒を見ようと思っている。これだけの庭があるのだから、花にせよ野菜にせよ、結構楽しみが増えると思う。庭は雑草が喜んでいる状況なのだ。昨年の夏にバルセロナ在住の娘の羊子と孫の義也が帰国していた。羊子は雑草の整理をしてくれたのであるが、いくつかの場所を整地して、野菜の種をまいたのであった。インゲン、トマト、キュウリ等であったと思うが、そのうちインゲンは発芽し、収穫までできたのであった。キュウリは発芽し花を咲かせたが実がならなかった。他の種は発芽することなかった。何しろ、いずれの種もかなり前のものなのである。種をまいた本人はバルセロナに戻った後なので、ラインで収穫を示したのであった。美味しくいただいたことを報告したのであった。そんなこともあったので、今年は庭の手入れをして、野菜だの花だのを育ててみようかと思っている。本来、畑仕事が好きな連れ合いのスミさんは、今はできなくなっているので、代わりに手掛けてみようかと思っている。
それにしても、連れ合いのスミさんは、花にしても野菜にしても、手をかけることが大好きであった。大塚平安教会在任の頃、教会の周りにしてもあまり土いじりができはないので、プランターで花を育て、野菜の収穫をしていたのである。それで満足できないので、綾瀬市の文化会館の近くの畑を借りて農作業をするのだった。座間市の一角にも畑を借りたこともある。もちろん、このことは連れ合いのスミさんの趣味であるのだが、スミさんは自転車で行くこともあるが、時には荷物があるからと車で送り迎えをすることがある。2010年4月からこの家に住むようになったのであるが、スミさんに取って庭が広いことが何よりの喜びであった。毎日、庭で過ごすことが多く、こちらもお付き合いで庭にいるものの、もっぱら腰かけてスミさんのお働きを眺めていたようだ。職務を隠退しているので、もはや復帰することは毛頭なく、ここはひとつ土いじりをやってみようかと思うようになっている。
父は、かなり高齢になっていたが、畑仕事を続けていたのである。今は、宅地になっているが、その頃は里山の中腹であり、そこを開墾して野菜を育てていたのである。かなり広く畑を広げ、いろいろな野菜の収穫をしていた。収穫してはご近所の皆さんに差し上げていたのである。里山があり、その一角に畑を作り、のどかな地域であった。今は山の上まで宅地となり、家が建ち並んでいる。我が家の裏は山の斜面になっているので、そこは雑木林になっており、昔の自然が残されているので、谷間の家と称している。そのような状況なので、我が家の庭こそ、唯一、土のある場所なのだ。
立春を迎え、思わぬことに胸を膨らませたのであるが、健康のためにも、庭いじりをしてみようと思っている。そのように思うことができたのも「立春」のおかげである。作業服、長ぐつ、軍手、鎌、どこかにあると思うのであるが…。

羊子が種をまき、孫の義也が水をまき
インゲンが実をつけて
キュウリは花を咲かせたが。
収穫したインゲンをおいしくいただく

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