隠退牧師の徒然記<690>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<690>
2023年5月22日「記念の礼拝をささげつつ」

聖書の言葉
主はシナイ山の頂に降り、モーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは山の頂に登って行った。(出エジプト記19章20節)

日本基督教団は11月の第一日曜日を聖徒の日(永眠者記念日)としている。大塚平安教会在任時代は、この日を召天者記念礼拝としてささげていた。信仰をもって人生を歩み、教会員であった皆さんの写真を飾り、みなさんの信仰の証しを示されながら礼拝をささげたのである。皆さんの信仰の励ましをいただくのであるが、その歩まれた環境等も示されるのであった。そうであれば聖書の世界に足を運べば、どこにも経験できない励ましが与えられるのであろう。かねがね聖地旅行が示されていた。しかし、現実にはなかなか行かれないものである。だいたい一週間、または10日間の旅になるので、職務のことを考えると行くことができないと結論付けているのである。1979年に大塚平安教会に赴任する。教会の牧師と共に関係する幼稚園の園長、運営する法人の理事長にも就任する。そして、関係する二つの知的障碍者施設の嘱託牧師にも担うことになる。それぞれの施設では毎週一度であるが礼拝をささげる。高齢者も多く、葬儀も多くなる。就任後しばらくして横浜保護観察所の保護司を担うことになる。そして担う教会ばかりではなく神奈川教区、湘北地区のいろいろな役目を担うことになるのである。そんなことで1995年を迎えていた。就任してもはや15年にもなるのである。そのような諸任務を持つようになり、もちろん聖地旅行なんて考えもしなかったのである。ところが、ある日、教団の出版局が発行している信仰雑誌を見ているうちに、思わず引き付けられるページがあった。聖地旅行の案内広告である。日程も10日ほどであり、しかも年末年始を利用している。何となく心が動いたのは、その時、教会にはもう一人の牧師がいたのである。暫定的であったが、一人の牧師を迎えていた。そして、旅行も年末年始であり、世の中はお休み体制なのである。今なら聖地旅行ができると思い、すぐに申し込んだのであった。
こうして1995年12月29日から1996年1月7日までの聖地旅行が実現する。知人の山鹿牧師も行くことになり、約20名のツアーに参加したのである。韓国の空港が集合場所であり、まずエジプトに向かう。エジプトからシナイ半島に向かう。シナイ山に登るのが目的であるが、十戒を授けられた場所であり、大切な場所でもある。シナイ山の麓に到着したのは夕刻であった。翌朝の2時にはシナイ山に登るというので早めの就寝である。そして、暗いうちにラクダに乗り、五合目まで。その後歩いて山頂に着くが、まだ日の出ではない。しばらく待つことになるが、その時、ツアーの責任者が、私にここで礼拝を担当してもらいたいというのである。いきなり言われても戸惑うところであるが、すぐに承諾する。モーセがエジプトで奴隷となっている同朋を救い出す使命をいただいた場面は、印象深く受け止めているので、そのあたりを説教としたのであった。シナイ山のご来光と共に礼拝をささげたこと、やはり思い出に残る。今でも聖書の出エジプト記を読むごとに、記念すべき礼拝がよみがえってくる。そして、聖地と言われるそれぞれの場所で礼拝をささげたことも、心に残る礼拝であった。

シナイ山をしたから仰ぐ。
イエス・キリストのお墓と言われる場所で。
パンと魚の増加教会で礼拝をささげる。

noburahamu2.hatenadiary.org