隠退牧師の徒然記<525>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<525>
2020年3月23日「聖地旅行 3 」


聖書の言葉
モーセが神のもとに登っていくと、山から主は彼に語りかけた。」(出エジプト記19章3節)


日付が変わって31日、午前1時15分に起床、寝不足の目をこすりながら支度をする。この日はシナイ山に登るのである。夜のうちに登るのはシナイ山でご来光を見るためである。何もご来光など見なくてもよいのであるが、シナイ山ということで記念になるであろう。午前2時にバスに乗り登山口まで行く。その地点は既に1,500メートルの高さである。そこにはラクダが待っていた。このラクダに乗って八合目付近まで登るのである。ラクダに初めて乗ったが、ラクダに跨ると、ラクダは後ろ足で立ち上がり、続いて前足を立ち上げる。立ち上がるとき、鞍に強くつかまっていないと落駝してしまう。乗ってしまうと、ほんとに楽な気分である。暗い夜道なのにラクダを連れて歩く人もラクダも、すいすいと上っていく。暗い夜道であり、どんなところを通っているのかわからない。ひたすらラクダの鞍につかまっていた。下山の時は登ってきた道を歩いて下ったが、こんな崖っぷち、そして細い道をラクダに乗って通ったと思うと驚き、改めて冷や汗が出るようであった。昼間であったらラクダにも乗っているのが恐ろしかったろう。ラクダに乗ること1時間30分、八合目と思われる場所に着いた。ラクダを降りるとラクダを連れて歩く人からチップをもとめられる。ラクダ料はツアー料金の中に含まれているのであるが、外国では何かとチップが必要なのである。ホテルを出るときにも枕元にいくらかのチップを置いておいてくださいと添乗員から言われるのであった。八合目からは歩いて頂上を目指すのである。参加者の中には比較的年配の夫婦がおられ、夫人は歩けないから八合目で待っていると言い出す。暗いところで、一人で待っているなんて危険でもある。一同が励まし、何とか一緒に登ることになった。かなりきつい登り坂であった。登ること1時間はかかったと思う。午前5時30分、ついに2,285メートルのシナイ山頂上に達する。しかし、まだ暗く日の出には間があった。日の出まで1時間待ったが、その間あちらこちらで話し声が聞こえていた。かなりの人たちがこのシナイ山上にいるようであった。やがて雲上のかなたが白々としてきた。そして赤い炎のようなものが見えた瞬間、あたりが明るくなった。その時、イスラム教のコーランを唱える人々、何やら唱える人々がそれぞれ感動をもって日の出を見つめるのであった。日の出も感動したが、シナイ山から見渡す荘厳な山々にも感動を示されるのであった。
十戒を授けられたるシナイ山モーセは歩きわれらはラクダで』
『日の出待つシナイ山上人の群れモーセに示し光の中に』
ご来光を感動しつつ見てから、ここで我々のツアーは初めて礼拝をささげることになった。ツアーの添乗員が、突然私に礼拝を担当してもらいたいというのである。突然のご指名であるが、牧師である責任もあり、担当することになった。準備する間がないままに、シナイ山の麓で神様がモーセに召命を与えたとき、神様がご自分を示した「有って有るもの」とクリスマスのインマヌエルについてを交えながら奨励をしたのである。
『この山に植物なしは神の御旨モーセに告げし有って有るもの』
『信仰の交わり証深まりて自己満足の有って有るもの』
『有ってある私の存在見つめつつ有って有るもの見えし隠れし』
シナイ山上から下山したが、かなりきつい。ほとんど草木が生えていない岩だらけの山である。下山してホテルで食事を取り、その後はセント・カテリーナ修道院の見学であるが、入ることができないので、修道院を見つめながら説明を聞く。カテリーナとはエジプトのアレクサンドリアで殉教した少女の名で、シナイ山頂に埋葬された。後にこの修道院に埋葬されたと言われる。セント・カテリーナ修道院は世界最古といわれる。紀元548年、ビザンティン皇帝ユスティニアヌス一世により、修道士達の保護のために建設されている。この修道院が有名なのは、ここでシナイ写本が発見されたからである。1844年、ドイツの聖書学者が捨てられていたゴミの中から一連の羊皮紙を拾い上げる。それはギリシャ語で記された旧約聖書の写本であった。今では貴重な資料になっている。

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シナイ山でご来光を見る。
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シナイ山上で記念写真。荘厳な山々に感動する。
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シナイ山からの下山途中。何やら祀られていたが。