隠退牧師の徒然記<734>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<734>
2024年3月25日「春に向けて⑧」

聖書の言葉
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。(ヤコブの手紙5章7節)

最近のブログは、春に向けての思いを書いているが、特に幼稚園等でのお別れが春に向けての一コマであると記している。卒業する子どもたちとグループ毎にお弁当を食べたこと、卒業記念としてガウンを着ての写真撮影、そして卒業式等について記してきた。いろいろと思い出があるが、個人的な思い出が募るのはお別れの記念帳である。先生たちがまとめてくれるのであるが、お友達の言葉が記されており、中には写真まで添付されている。そのような記念帳には卒業生ばかりではなく、在園生のお友達、また保護者、先生達まで書き添えてくださっており、紐解く喜びがある。30年間務めた幼稚園のお友達、その後2、3年しか勤めない幼稚園でも、退任する時にはお友達のお別れの言葉をいただいているのである。その後10年以上を経ているので、もはや高校生または大学生になっているのであろう。あるいは社会の中で働いているお友達もいるのかもしれない。しかし、記念帳に記しているお友達は、その時点で時間が止まっており、いつまでも「あの存在」が残されているのである。在任中、お母さんの自転車の後ろに乗せられているお友達が、道を歩く私に、「えんちょうせんせい からだに きをつけてね」と言ってくれたこと、その声が今でも耳に残っているのである。そう、記念帳を紐解かなくても、いろいろな言葉が聞こえてくるのである。いろいろなお別れの言葉をいただいているが、いくつかを記しておこう。

〇せんせい、いつもありがとう。
〇いつまでもげんきで。わたしのことを忘れないで。
〇いつまでも ながいきしてね。
〇いつもやさしいえんちょうせんせいは みんなをたすけてくれる。
〇えんちょうせんせい びょうきせずに げんきでいてください。

30年間在任した幼稚園では、退任にあたり、卒業後数年の皆さんにも「お別れ会」の案内をしてくださり、出席返信のはがきにメッセージを記してくれている。

〇今までおせわになりました。これからも元気でいてください。ぼくは今年、6年生になります。
〇いままでぼくらのことを思っていてくれてありがとうございました。次はぼくらが恩返しする番ですね。いくら遠くにいて姿が見えなくても僕らとは心と心でつながってるからだいじょうぶですよ。ぼくらはいつまでも神の子として生きていきたいです。

お別れしたお友達が、今も覚えてくださっていることで、元気百倍になっている。春の喜びでもある。

退任にあたり、お友達の言葉をいただく
いつまでも励ましとなり
noburahamu2.hatenadiary.org