隠退牧師の徒然記<540>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<540>
2020年7月6日「山の存在を示されながら」


聖書の言葉
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。(詩編121編1-2節)


7月になると夏山シーズンとの思いが深まる。この夏は、どこの山を登ろうか、あれこれと計画をめぐらしたこと、今は懐かしい思い出になっている。登山歴なるものは、ここに書くほどの記録はない。それでも私の人生において、いくつかの登山は、いろいろと意味ふかく残されているのである。以前にも記しているが、我が家は里山の谷間にあり、その里山の尾根を歩いては高取山に達する。それが結構な初級登山になっていたのである。中学生の頃、高校生の頃、何度も初級登山を喜んでいたのである。その歩く取り組みは、我が家から鎌倉まで2時間を要して歩くこと、数えきれないほどである。そして、青年の頃は、富士山、八ヶ岳南アルプス等の登山歴を持つ。大塚平安教会在任の頃は、もっぱら丹沢の山々を登ったものである。教会の青年達や我が家の子供と登山を楽しんだのである。青年たちが成長し、社会人となり、共に登山はできにくなったり、我が家の子供も成長して登山どころではなくなった時、一人で登山ツアーに参加する。そのツアーで登ったのが谷川岳であり、大菩薩峠である。結構、楽しませていただいた。
このブログで登山歴等を書いているのは、今年は新型コロナウィルス感染予防のためもあり、富士山の登山が中止されたという報道を示され、若き日の登山歴を思いだ出させていただいたからである。富士山には二度ほど登っている。一度目は、二十歳頃であったと思うが、清水ヶ丘教会の青年達と登る。富士山は一度登ればよく、二度登る○○とも言われていたが、二度目は社会人となっていたころである。会社の仲間と共に登ったのである。機会があれば、もう一度登りたいとも思っていたが、その機会は訪れなかった。富士山に登るのは、夜中に登ることである。昼間の登山は暑いので大変なのだ。さらに夜の登山はご来光を見るためである。暗いうちに達し、まだ暗いのであるが、やがて東の空が明るくなってくる。赤い塊が顔を出すや、見る間にあたりが明るくなるのであった。光をいただいた瞬間に、人間は思わず歓声を上げるもので、歌ったり、拝んだりするのである。富士山に登ること、どうして中止なのか。登山中は三密になるからである。富士登山は7月の終わりから8月の初め頃に集中する。そして、皆さんは夜中の登山なので、集中することになる。人の背中を見つめつつ登るほど混雑するのである。
この経験はイスラエル旅行でシナイ山に登ったときにも経験したのであった。シナイ山は、神様からモーセがエジプトで苦しむ人々を救う使命をいただいた山であり、さらに十戒を与えられた山でもある。聖地旅行にはシナイ山の登山が予定に入っているのである。そのシナイ山に登った時も、夜中に登り始め、ご来光を見たのであった。
日の出の頃に、近所の小高い場所に上がり、住宅の屋根の陰からの日の出を見ることでも良いのであるが。もはや登山はしないので、そういう楽しみ方もあるのであるが…。

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二度目の富士登山。22歳頃かと。
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シナイ山にて。聖地旅行では最初に訪れる。
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一人で登山をするようになり、ツアーにて谷川岳登山。
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わが家の子供と共に丹沢山
noburahamu2.hatenadiary.org
を歩いたもので。