隠退牧師の徒然記<731>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<731>
2024年3月4日「春に向けて ⑤」

聖書の言葉
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。(ヤコブの手紙5章7節)

新年を迎え、1月、2月、3月の歩みをする中でも、春に向けて忙しく過ごすことになる。学校や幼稚園は3月に子供たちを送り出し、4月に新入生を迎えることで、その二つのことを示されながら過ごすのである。先生たちは何かとお忙しく過ごしている。幼稚園の職務を担当している頃、1月2月は卒業の準備に追われている。卒業する子どもたちには教会から聖書を贈呈、幼稚園から「こどもさんびか」を贈ることになっている。その聖書の扉に、一人一人、贈る言葉を書いていた。それも筆字で書くので、結構時間を要するのである。ひと時は50人、60人の卒業生に贈る聖書に、一人一人の存在を示されながら、励ましの言葉を書くのであった。ある年は、何かと忙しく、ゆっくりと聖書に励ましの言葉を書く時間が惜しまれた。それで、この年は筆字ではなくペン字で書いたのである。担任の先生から、筆字で書かなかったことへの抗議をいただく。それ以来、どんなに忙しくても、簡単に済ませることはしないことにしたのであった。卒業の準備としては、卒業証書がある。証書に名前を書き、数字などを書き入れるのであるが、証書と共に記念写真を添付することにしていた。それは大学生が卒業式に着るガウン、そして帽子である。幼稚園の子供用があることを知る。全員が一度に着るのではなく、写真用に大、中、小の三種類のガウンを用意し、一人一人の記念写真を写すことにしたのである。普段、着ることもないガウンの卒業写真は保護者の皆さんも喜んでくださったのである。卒業証書だけなら、ほとんど開かないファイルであるが、ガウンの写真が添付されているので、何度も卒業のファイルを開いては、幼稚園時代を思い出しつつ懐かしく見ているというお声を聞いている。田舎のおじいちゃん、おばあちゃんにも送りたいので写真の焼き増しを求められるのであった。聖書の扉に筆字で書いたり、卒業証書に名前を書いたり、いかにも筆達者に思われるが、決してまともな字であるとは思っていない。中学生時代、習字の時間があり、習字の先生から、「下手だね」と言われたことがある。その言葉がきっかけであったのか、何かと筆字を用いた。もちろん他人様に筆字では書かないが、自分の記録として書いていたのである。今になっても他人様に書く筆字ではないが、それでも職務上書かなければならないので、こんな筆字で申し訳ないと思いつつ筆を握っているのである。書斎には私の神学校時代の校長先生が書いてくれた色紙が飾られている。「ただこの一事を務む」と筆字で記されているのであるが、それほど達筆とは思えないが、その字体は心に示されるお言葉である。達筆でなくても、気持ちを表す言葉を筆に託すことで、心に示されるのである。これからも筆に託しては思いを伝えたいのであるが…。連れ合いのスミさんは結構筆字を書いている。部屋に掲げられているスミさんの筆字を示されながら、元気に飛び回っていた頃を思い出している。今は体調を崩して横になっているが、筆字の連れ合いを受け止めているのである。今の時代、スマホで指先が器用になっているが、字を書くことから遠ざかっているので、なるべくペンを持つことにしたいのであるが…。
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