隠退牧師の徒然記<527>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<527>
2020年4月7日「聖地旅行 5 」


聖書の言葉
「このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。」(マタイによる福音書15章20節)


1月1日の夕にエルサレム新市街のホテルに着いた。もはや夕刻であるのでどこにも出かけないで、ホテルの中にある店を覗き歩いた。エルサレムダビデが建都してから3000年という。ホテルのロビーで建都3000年のお祝いの募金がされていた。協力すると名前をどこかに記名するとか。協力した。その夜は旅行社が建都3000年のお祝いということでご馳走を振舞ってくれた。あわせて新年の夕食会であり、また山鹿先生の誕生日であった。三つのお祝いが重なり、食事が行われた。私が山ちゃんの誕生日の祝辞を述べた。食事のメニュー紙にみんなでお祝いのサインをして山ちゃんに贈った。
『元旦の夕食会は山鹿氏の誕生日をかねて盛り上がり』
 1月2日、今日はエルサレムの町を見学することになっている。最後の晩餐教会、鶏鳴教会、園の墓、ヴィア・ドロローサ聖墳墓教会嘆きの壁、黄金のドームなどである。嘆きの壁では添乗員とガイドさんが見えなくなった。どうしたのかとツアーの仲間に尋ねると、参加者の一人がウエストポーチを盗まれたので、警察に届けに行ったという。旅行社からは盗難には十分注意するよう繰り返し言われていた。だから私は財布はポケットではなく、首から紐でつり、シャツの内側、つまり肌につけていたのである。ポーチには財布やキャッシュカードも入っていた言われる。すぐに届けないと使われてしまうのである。ずいぶんと嘆きの壁の広場で待たされた。気落ちしている被害者にみんなでカンパしてあげた。
 ガイドさんは日本人の女性であるが、イスラエル人と結婚し、ガイドの仕事をしているのだという。よく説明してくれるが、少ししゃべりすぎるきらいがある。いろいろな教会を訪れるたびにお祈りを勧める。巡礼者に違いないが、聖書旅考であり見学者である。鶏鳴教会では讃美歌を歌い、園の墓では一同に祈ることの指示をしている。少し出すぎた案内人でもある。いずれもイエス・キリストのゆかりの場所を訪ねるが、いずれも教会ができており、ほとんどカトリック教会、ギリシャ正教会である。中にはきらびやかな聖壇で驚かされる。イエス様が入れられた牢屋は当時のものだという。なんとなくそんな思いになる。ヴィア・ドロローサは当時の町並みであろう。ヴィア・ドロローサとはラテン語で「苦難の道」の意味があり、イエス様の「最後の歩み」と理解されている。石造りの家と家の間にある狭い路地を、イエス様が十字架を担いで歩いた状況を思い浮かべた。参加者の若い女性が涙を拭きながらこの道を歩いていた。この狭い路地に店が並び、ワンダラと言いつつ土産物を売っている。ガイドの説明、物売りの声が飛び交い、ヴィア・ドロローサどころではない。路地をすすむと赤ちゃんが道路に転がっている。おかしな表現であるが、人の歩くところまで赤ちゃんを横たえさせ、その後ろで母親が手を差し出しながらなにやら言っている。お金を求めているのである。
『聖地とは歴史に生きる人々の信じた姿遺跡となって』
『主の姿ヴィア・ドロローサの石段で物乞いする子を抱く母に』
『物売りとガイドの声が交差するヴィア・ドロローサ心を沈めて』

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新年の食事と山鹿先生の誕生会をエルサレムのホテルで。
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エルサレムの「嘆きの壁」にて。
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ヴィア・ドロローサ、イエス様が十字架を担いで歩いた道。
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ヴィア・ドロローサは物売りと観光者でひしめいていた。
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