隠退牧師の徒然記<638>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<638>
2022年5月23日「いろいろな歩みを示されながら」

聖書の言葉
エスは、弟子たちを祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。弟子たちは大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神をほめたたえていた。(ルカによる福音書24章50-53節)


キリスト教の暦はクリスマス、イースターペンテコステの三つの祝い日を中心に一年の歩みがある。これらの祝い日に関わる日も大切なのである。たとえば、クリスマスは12月25日であるが、クリスマス前の四週間はアドベントと称し、点灯するロウソクの火を毎週増やしていく。最初は一本のロウソク、第二週は二本のロウソク、四本になるとクリスマスになるのである。そのアドベントの期間は飾りつけも楽しく、その日を待望するので、喜びの日々となる。春になるとイースターを迎える。この日はイエス・キリストの復活日であり、新しい歩みを喜び合うのであった。そのイースターの一週間前は、棕櫚の主日と言い、イエス・キリストの最終段階、受難の道を歩み始めるので、それが救いの原点であることを示されつつ歩むのであった。カーニバルのお祭りがあるが、これはイースターの40日前、いよいよ受難の歩みが始まるので、今のうちに美味しい肉をいっぱい食べ、楽しく過ごそう、という日である。イースターに関わるいろいろな歩みがあるということである。イースターが終わり、50日もすると、また新しい歩みとなる。ペンテコステを迎えるのである。聖霊降臨日である。イエス・キリストは復活後40日間、復活の姿を弟子達や人々に示される。そして、弟子たちの前で天に昇られたと聖書は報告している。弟子たちは3年間、イエス様に従いつつの歩みであったが、イエス様が十字架に架けられて埋葬され、師を失い意気消沈していたのであるが、復活という新しい事実を与えられ、希望をもって歩むことになる。しかし、ここでまた、師である先生が天に昇られたのである。もはや、現実を導く先生がいなくなるのである。この昇天日から10日後に聖霊降臨が与えられ、力強い聖霊の導きが始まるのであるが、それまでの10日間は空白のときとなる。その昇天日は、今年は5月26日に迎える。この日から6月5日のペンテコステ聖霊降臨日まで弟子たちにとっては空白の日々となる。中心となる存在がいないからである。その弟子たちがどのように過ごしたのか、聖書は記している。すなわち、彼らは共に集まり、こころを合わせて神様にお祈りしていたという。いたずらに新しい道を求めるのではなく、自分たちの進路を自分たちで決めるのではなく、この状況を神様に委ねた、と聖書は報告しているのである。
キリスト教には「牧会」という言葉がある。牧師が信者の皆さんに神様の御心を示し、人生の指針を示す働きである。その牧師が存在しないときを「無牧」と称している。教会が存在しても、必ずしも牧師がいるとは限らない。一時的に無牧となるのである。そのような場合、信者の皆さんは心を合わせて祈りあい、教会の歩みを担うのである。いわば空白のときこそお祈りが導かれ、皆さんの思いが強められるのである。イエス・キリストの昇天日を迎え、ペンテコステまでの空白の期間になるのであるが…。

庭の木陰から空を見上げれば。

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