隠退牧師の徒然記<490>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<490>
2019年7月23日「歴史を書き留めながら」


聖書の言葉
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
新約聖書ヨハネによる福音書21章24-25節)


パソコンでありがたいのは、作成した文書がそのまま残っていることである。メールにしても受信、送信の履歴を見れば、そのまま再読することができる。特に受信については、お気持ちがいつまでも残っているので、再読するたびに励まされる思いである。ところで、最近は昔の文書を紐解くことが多くなっている。読書も疲れ、いろいろなニュースを見るのも面白くない。それで昔の文書を開いては、当時を振り返りながら再読しているのである。読み応えがあるのは日本基督教団の総会書記を担っていたころの文書である。常議員会という会議ある。この会議は総会で選ばれた常議員が会議を開いては日本基督教団の歩みを担うのである。常議員27名と議長、副議長、書記の30名が構成員となる。
会議は教団議長が会議の議長であり、総会書記は常議員会の書記でもある。そのため、会議の進行を逐一記録するのである。常議員会は会議であるので、諸意見の交換があり、それらの意見を記録するのであるが、ほぼ発言録にもなる。そのため、ボイスレコーダーを買い求め、再生しながら記録を作ることになる。会議は二日にわたるので、二日間の発言録を作成するのは、結構大変な作業でもある。常議員会は年二回は開催されるので、暇さえあれば記録を作成していたことになる。それも8年間もになったのであるから、本当にご苦労様なことである。2010年10月の日本基督教団総会をもって書記の任を終えることになった。その退任の総会で、休憩の時であるが、「書記なんかして、なんかいいことあったか」と言う輩がいた。その時、あえて答えなかったが、総会議場で退任の挨拶をしたのであるが、「8年間、記録を作成しつつ過ごしたが、それは日本基督教団の大切な記録であり、その労に対して、自分をほめてあげたい」と述べた。500名の議場から拍手をいただきながら議長団の壇上から降りたのであった。
発言録にも近い記録であるが、これは日本基督教団の歴史であり、その歴史を記録に残しているのである。その意味では大変重要な働きなのである。在任中の竹前昇総幹事、その後の内藤留幸総幹事はすでに召天された。また小林貞夫常議員も召天されている。これらの皆さんの述べられたことは記録されているのであり、その発言を示されながら、現実におられる思いでもある。文書を再読することで名言にも出会うであろう。そして、現在も書くことに関しては衰えがなく、新しい文書作成を心掛けている。いっそ、小説でも書こうかな…。

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昔の大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園。教会は新会堂になり、幼稚園も写真で見える部分を立て替えている。
noburahamu2.hatenadiary.org