隠退牧師の徒然記<551>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<551>
2020年9月21日「共に歩みつつ」


聖書の言葉
わが子よ。母の教えをおろそかにするな。それらは頭に戴く優雅な冠。首にかける飾りとなる。(旧約聖書箴言1章8-9節)


9月19日は連れ合いのスミさんの誕生日である。81歳になり、再び同じ年齢になる。夫婦は同じ1939年生まれであるが、私は5月生まれであるので、4ヶ月間は私の年齢が上になるのである。スミさんが誕生日を迎えたことで、今後8ヶ月は同じ年齢になる。夫婦であるので、どちらの年齢が多かろうと構わないのであるが…。二人が出会ったとき、いくらか私の方が年齢が上になるので、「それで安心した」と言ったことが忘れられないことだけなのだ。とにかく共に81歳になったことのお祝いを述べたい。牧師として述べているのであるが、よくも決心して牧師の連れ合いになってくれたと思う。教会員の皆さんは、やはり牧師の苦労は受け止めている。そして、それ以上に牧師の連れ合いの苦労も理解されているのである。牧師の苦労というが、一言では言うことができない。それを教会の皆さんはご存じなのである。牧師の連れ合いが、牧師に代わって教会の皆さんのいろいろな歩みを受け止める職務をしているのではないが、何かと牧師に代わることがあるのである。牧師は何かと外出することがあり、その留守にも来客や電話の応対等がある。それなりに応対するのであるが、やはり重い務めとなるのである。幼稚園もあるので、幼稚園の教職員が帰った後も、何かと保護者からの連絡がある。それらの応対もご苦労があるということだ。教会の歩み、幼稚園のことなどに加え、近所とのお付き合い、そして三人の子どもたちの成長、いろいろなことに関わりながら過ごすのが牧師の連れ合いということである。
今年の母の日に子どもから送られたメールは、このように記している。

「お母さんへ。こんな世の中だけど、明るく元気で過ごしていてくれて嬉しいです。
先日のお母さんのフキの煮物、美味しかったよ。時々座ったままでも体操をしたりして元気を保ってください。お母さんの純粋で優しい心が周りの人を和やかにしてくれていますよ。
これからもずっと元気で長生きしてください。いつもありがとう。(星子)」

私からも、今年は結婚51年であり、共に歩んでくれてありがとう、心から感謝している。今まで教会のため、幼稚園のため、家族のためにすべてをなげうちながら尽くしてくれたと思っている。今はデイサービスやサロンに通うのを楽しみにしている。80台は今までの苦労を癒す時と示されている。たまにはおいしいものでも二人で食べながら…。
 子どもたちと共に過ごすことを楽しみにしているが、スペイン・バルセロナ在住の孫、義也君を喜んでいる。毎週、土曜日や日曜日にはライン等でお話しをしているが、9月からは幼稚園に通うようになり、成長を楽しみつつ過ごしているのである。

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バルセロナ在住の羊子から送られた誕生日カード。
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サロンに通うことを楽しみにしている。サロンで書いた筆字。
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筆字のほかにも手芸を楽しんでいる。もう、飾る所がないくらい…。
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9月から幼稚園に通うようになった孫の義也君。幼稚園の入り口で。
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日曜日に母親の羊子が奏楽するカトリック教会に出席。ミサ中も一人で静かに遊んでいる。

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