隠退牧師の徒然記<515>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<515>
2020年1月13日「賜物を用いながら」


聖書の言葉
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
新約聖書・エフェソの信徒への手紙5章19-20節)


年賀状の配達はもはやなくなった。もうお正月の行事はなくなり、いつもの通り普通の生活になっているのである。そんな思いでいるとき、一人の方から寒中見舞いのお手紙をいただく。ご家族が昨年逝去されたので、年賀状は控えさせていただいたということで、寒中見舞いを下さったのである。この方からは毎年のように賀状をいただき、お元気に過ごされていることを示されていた。ところが今年は年賀状がなく、何となく気にかけていたのである。年末には皆さんから喪中のご挨拶をいただいているので、今年はこれらの方々からの賀状はなく、寂しく思っていたのである。
知人の逝去は、やはり心が痛む。横浜本牧教会員の吉澤暢紘さんが召天された。1月8日のことである。まだ働き盛りで、お元気にお過ごしであるとの思いを持っていたが、少し前にご病気であることを伺っていた。信じられない思いでいたのである。私が横浜本牧教会に関わるのは2010年4月から9月まであった。教会の代務牧師として、幼稚園の園長として務めたのである。10月からは専任の牧師、園長が就任されるので暫定的な務めであった。この期間においては吉澤さんは海外勤務であり、お会いすることも少なかった。そして、2016年10月から再び横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長に就任する。2018年3月までの一年半の務めであったが、この時は、吉澤さんは海外勤務を終え、教会の諸職務を担うようになっておられたのである。礼拝のために毎週、週報を発行したり、印刷物等も一切吉澤さんがなされていたのである。役員として、幼稚園委員会の委員として、何かと共に協議しながら歩んだのである。その吉澤さんは歌唱では優れた才能を持たれ、合唱団に所属して活躍していたのである。教会では礼拝が終わると讃美歌練習があり、いつも指導されていたのであった。数年前に個人的ではあるが歌のお仲間と共にバルセロナを訪れる。娘の羊子はサグラダ・ファミリアのミサの奏楽奉仕をしていることもあり、神父さんの許可を得て、ミサにおいて吉澤さんたちが聖歌をささげたのである。神父さんも大変喜んでくれたそうである。それで、今年は合唱団がサグラダ・ファミリアのミサで聖歌をささげることになり、吉澤さんも楽しみにその日の到来をお待ちであったのである。娘の羊子と吉澤さんとの懸け橋が実現したということである。
人間の存命中、何をしたのか、与えられた人生を喜びつつ歩むことに意味がある。吉澤さんも与えられているタラントを存分に用いながら歩まれたと示されている。私に与えられたタラント、賜物を生かしつつ、それによって人々がお喜びになる人生を歩みたいものだ。

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サクラダ・ファミリア教会のミサで聖歌をささげる吉澤さん。左から二番目の方が吉澤さん。
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ガウディーの記念堂の前で。
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鈴木伸治牧師が早苗幼稚園の園長に就任した時、歓迎のご挨拶をいただく。
f:id:noburahamu2:20200113101902j:plain2017年8月13日、早苗幼稚園で羊子のコンサートが開かれ、吉澤さんと記念撮影。
noburahamu2.hatenadiary.org