隠退牧師の徒然記<624>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<624>
2022年2月14日「いろいろと準備をして」

聖書の言葉
主イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげて、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」と言われました。(コリントの信徒へ<一>11章23-24節)

前回に続いて幼稚園在職時代の思い出を記しておく。この時期、すなわち2月から3月にかけてはいろいろな準備をしなければならない。一つは、前回も記したが、幼稚園を卒業する子ども達とお弁当を食べることである。園長として、もちろん子どもたちと接してはいるが、ゆっくりとお話することはない。いつも全体に向けてお話をしているか、登園時や降園時のご挨拶だけである。あるいは遊んでいるお友達に声をかけることもある。しかし、ゆっくりとお話をすることはないのである。そこで、お弁当を食べながらお話をすることであった。また、子どもたちを送り出すにあたり、何か記念となること、いろいろと考えたこと、それは卒業記念写真であった。大学生が卒業式にはガウンを着用し、角帽をかぶっている。その姿を幼稚園でも、というわけで幼稚園児用のガウンを作っているところがある。このガウンをみんなが着用するのは、この時だけなので必要ない。いくつか寸法の異なるガウンを幼稚園で用意することにして、卒業記念写真を写すことにしたのである。その写真を卒業証書のファイルに収めて授与することにしたのである。この企画には保護者の皆さんはお喜びであった。おじいちゃん、おばあちゃんに送りたいので、焼き増しを乞われたものである。卒業証書を授与した後は証書を入れる筒状の入れ物を渡す。証書を丸めて保存しておくのである。それであると一度証書を見ただけで、筒の入れ物に入れたままである。ファイル形式であれば、いつでも開くことができるのである。ガウンを着たわが子を、目を細めて見つめるのである。
卒業を間近にしたこの時期、もう一つの準備があった。卒業する子どもたちには、教会から「新約聖書」、幼稚園から「こどもさんびか」が贈られる。その新約聖書の扉に記念の言葉を記してあげるのである。贈呈する子供のお名前を記し、聖書の言葉を記す。そして幼稚園の名前と園長のサインを記すのである。筆字で記すので、結構な時間となる。ある年度は50名の卒業生である。「地の塩、世の光となりますように」とマタイによる福音書5章13-14節に記される言葉を記すのであった。ある時、その時期、とても忙しかったので筆字ではなくペン字で記したことがある。そしたら担任の先生から悲しみを持った抗議をいただくのであった。いつもは筆字で、きちんと書いているのに、今年はなぜですか、ということであった。つくづくと反省したものである。三つの幼稚園で卒業生のお友達に書いているので、35年間で1,000人くらいになるのだろうか。この聖書を持つ子供たちが聖書の言葉に励まされて、この社会の中で人々に喜ばれる存在であることを願っている。成長するに従って贈られた聖書も見えなくなってしまうであろう。しかし、時には聖書の言葉に励まされているといううれしい言葉を聞いている。

f:id:noburahamu2:20220214101304p:plain
卒業する子どもたちに聖書を贈呈、サインをして。

>

f:id:noburahamu2:20220214101535j:plain
孫の義也が通園しているスペイン・バルセロナの幼稚園、遠足のとき。
<>

f:id:noburahamu2:20220214101845j:plain
バルセロナの幼稚園。こちらは野外保育のよう。

noburahamu2.hatenadiary.org