隠退牧師の徒然記<649>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<649>
2022年8月8日「懐かしい講壇にたたずみながら」

聖書の言葉
「わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びに満たされたいと願っています。」(新約聖書テモテへの手紙<二>1章4節


懐かしい講壇にたたずむ。8月7日の日曜日は、久しぶりに30年間務めた教会の講壇に立つことになった。大塚平安教会であるが、1979年に就任し2010年3月に退任した教会である。退任後も今回で二回目のお勤めである。前回は2017年8月27日であり、礼拝説教に続いて娘の羊子のピアノ・リサイタルが開かれたのである。そのリサイタルはシルバさん家族支援チャリティーの目的でもあった。今回も、礼拝説教に続いて娘の羊子のピアノ・リサイタルを開くことになったが、今回は他の目的はない。そんなことで、前回の礼拝説教を調べたところ、はからずも礼拝説教題が同じであり、その時も「神様の御心をいただきつつ」と題しての説教であったのである。そのことに気が付いたのは、もはや明日に迫っていたのである。説教題は同じでも、テキストの聖書は異なる場所であり、内容は異なるのである。時を経ても「神様の御心をいただきつつ」歩んでいる証しでもあるということだ。
ここで今まで記していない大塚平安教会の去就についてメモ程度であるが記しておく。神学校を卒業し、最初の赴任地は東京の教会であった。伝道師、副牧師として4年間勤め、その後は宮城県の教会に招かれる。実は、その頃になると両親が80歳前後であり、できれば両親の近くの教会で勤めたいと思っていたのである。と言うことは神奈川県のどこかの教会である。宮城の教会で6年半務めたとき、神奈川県の中にある教会からのお招きをいただくのである。それも綾瀬市であり、横浜の実家とは車で1時間もあれば行き来できる場所にあった。もちろん喜んでお招きに応えたのであった。その教会がどのような存在なのか、地理的にもどのような状況なのか知る由もない。とにかく、実家に近いことで、すぐにもお応えしたのであった。お話があったのは6月であり、9月には就任しているのである。そのため夏休みは転居となる。当時は、ようやく東北道が完成しており、移動は楽であったが、神奈川に入る前に親戚が浦和にあり、そこで一泊することになる。そして、翌日の午前中には教会に到着したのであった。教会の玄関に入ったとき、婦人会の皆さんが出迎えて下さった。お昼でもあり、まずご用意くださっていた昼食をいただき、簡単なご挨拶をしてからは、さっそく荷物整理となる。婦人会の皆さんがそれぞれの荷物を整理してくださる。蔵書もかなりあったが、書店にお勤めの方が手早く本棚に収めてくださるのであった。
こうして始まった教会のお勤めであるが、教会の牧師ばかりではなく、幼稚園の園長、運営母体の法人理事長にも就任する。さらに関係施設、二つの知的障碍者ホームの嘱託牧師にも就任するのである。さらに、厚木飛行場にも近いので厚木基地騒音被害原告団にもなり、幼稚園や教会の建築課題もあり、いろいろと関わっているうちに、気がつついたら70歳にもなっており、もう退任しなくちゃあ、と言うことになったのであった。後は次回へ。

赤い屋根の教会。30年間務めるも今は解体されて。
この講壇に立ってはみ言葉を取り次ぎ。

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