隠退牧師の徒然記<686>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<686>
2023年4月24日「心を合わせて祈りが導かれ」

聖書の言葉
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
(テサロニケの信徒への手紙<一>5章16-18節)

このところ今までの歩みを記しているので、自伝を書いているようでもあるがそのつもりではない。礼拝に向かうことについて、歴史の歩みを振り返っているのである。1979年に大塚平安教会の牧師に就任する。何かの目標とか、姿勢をもって就任したわけではない。しかし、就任するや取り組むべきことが示されてくる。それは教会の皆さんが心を一つにして礼拝に向かうことへと導かれてくるのである。このブログにおいて、すでに何回も記していることであるが、笠倉正道君の証しである。就任して一年くらいを経たころだと思う。一人の青年との出会いが導かれる。彼は、大学の浪人一年であり、受験勉強中なのであるが、勉強に疲れたと言って牧師を訪ねたのである。実は、彼は教会付属の幼稚園卒業生であった。だから教会の牧師を訪ねることは気安いことでもあった。いろいろなことを話し合ったものだ。だからと言って教会の礼拝に出席したわけではない。しかし、春になり、大学が受かったら礼拝に出席すると言っていた。そして、春になり、彼の合格の知らせを電話で聞く。だから礼拝に出席するだろうと思っていたが、その姿は見られなかった。それで家の方に電話してみると、腰痛で整形病院に入院していると言われる。その数日後、お見舞いに行ったのである。すると彼は横浜市立大学病院に転院したと言われる。彼は、腰痛と判断されたが、実は腫瘍であり、すでに手遅れで、手術はしたものの下半身麻痺となってしまったのである。もちろん彼は落胆したのであるが、希望を持つようになり、車椅子のバスケット選手になると言って、いつもボールを手にしていた。その彼をお見舞いするようになり、毎週木曜日の午後には病室を訪ね、聖書やキリスト教のお話、人生についてなどの話をすることになる。そのような彼について、礼拝説教で紹介するようになる。何よりも彼が教会付属幼稚園の卒業生であったからである。教会の皆さんは、彼が礼拝に出席していたわけでもないので面識もないのであるが、順次お見舞いをしてくれるようになるのである。そして、水曜日の祈祷会ではお祈りするようになり、礼拝での献金感謝のお祈りでも、彼の快方を加えるのであった。今や教会の皆さんが、礼拝に向かいつつ彼の存在をお祈りするようになったのである。彼の腫瘍は全身にまわり、もはや寝たきりとなる。彼は退院して教会で洗礼を受けたいとの希望を持っていた。しかし、もはや退院はできないと判断した彼のお父さんが、彼を励まし、自分も洗礼を受けるからこの病室で洗礼を受けることを勧めたのであった。そして5月末に洗礼を受ける。そして、それから一ヶ月後の7月1日に天に召されたのである。21歳であった。病室には許可をいただき、教会の皆さんも数人お集りいただき洗礼式が執行されたのである。葬儀は教会で行われたが、多くの皆さんが参列され、立錐の余地がなかった。
1979年に就任したが、その三年後には多くの皆さんが、彼を祈るために礼拝へと導かれたということである。就任間もない牧師にとって、この後の教会の歩みが祝福へと導かれることになるのである。多くの皆さんが、一つのことを示されて、共に礼拝へと導かれ、祝福への歩みとなる。

彼が中学生の頃、登山記念として。

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