隠退牧師の徒然記<570>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<570>
2021年2月1日「思い出す限り、スキーの経験がなく…」


聖書の言葉
主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。
旧約聖書詩編121編5-6節)


1月も終わり、2月の歩みとなるのであるが、寒い時期であり、今回も寒さに関わる思い出を記しておこうかと思う。今も、日本海側の地域は雪が降り積もり、困難な生活をされているようだ。そのことについては、前のブログでもふれたが、関東地方でも三浦半島の入り口あたりに住んでいるので、雪との闘いはない。日々、温暖な静かな生活なのである。都会の人間は、雪でも降ると何となく嬉しくて、ロマンチックな気分にもなるのだ。雪国の皆さんには申し訳ない気分になるということである。
宮城県古川市で生活したのは、かれこれ50年前にもなる。都会から寒い地方に住むことになり、経験のない雪降りの日は、じっとしていられないほどであった。その頃、子供たちも小学生、幼稚園の時代であり、雪遊びを楽しんだものである。古川市は寒いと言っても、そんなに雪が積もるわけではない。それで1月になると、牧師家族会が開かれ、鳴子温泉に集まる。仙台の北を仙北地区と称し、地区内には七つの教会が存在していた。その牧師家族の子どもたちためにも、一年に一度は鳴子温泉に集まることになる。温泉に入り、楽しい夕食をいただき、翌日は雪遊びをして帰るのであった。鳴子にはゲレンデがあり、スキーやソリ遊びが楽しめるのである。我が家の子どもたちもスキーやソリで楽しんでいた。それで、私もスキーとやらを楽しもうと、ゲレンデにでかける。すると連れ合いに厳しく止められるのであった。その時、連れ合いもスキーを楽しんでいたのであるが、私がスキーをすることに反対したのは、スキーの経験もなく初めてなので、滑降中に足でも折ったら、帰りの車をだれが運転するのか、ということなのである。確かにその通りなので、家族のみんなが雪遊びを楽しんでいるとき、私は休憩所のストーブの前で暖を取っていたのであった。
その後、神奈川県内の幼稚園の園長になり、毎年冬になると卒業遠足として雪遊びに出かける。富士山のふもとに日本ランドという雪遊び場があり、毎年出かけていた。しかし、楽しい雪遊びであるが、ただ見ているだけでソリ遊びなるものはしていない。「足でも折ったら」との、昔の警告がいつもよみがえってくるのである。要するに、降雪を経験し、スキー場にも出かけているのに、スキーもソリも楽しんだことはなく、しかし、雪国を楽しませていただいたと言うことなのである。まあ、それはそれで寒い時期の懐かしい思い出でもある。

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約50年前、宮城県古川教会時代、鳴子のスキー場で雪遊びを楽しむ子供たち。
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富士山のふもと、日本ランドで雪遊びを楽しむ幼稚園のお友達。

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