隠退牧師の徒然記<569>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<569>
2021年1月26日「お正月遊びを楽しみつつ」


聖書の言葉
今の時代は広場に座って、ほかの者に呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」
新約聖書・マタイによる福音書11章15-17節)


もはや「お正月」という言葉は出てこないが、その名残があることを喜んでいる。いわゆる「お正月遊び」というものである。どんな遊びか、説明しなければならなくなっている今である。こま回し、羽根つき、凧揚げ、かるたとり等である。まったく遊ばれなくなったのではなく、時には遊んでいるのを見る。昔は1月ともなれば、結構見られた遊びでもある。しかし、今は、場所の問題があるのかもしれない。凧揚げと言っても、広い場所が必要だし、公園と言っても周りが住宅で、凧揚げもそこそこの高さである。こま回しも、以前は道の真ん中で楽しんだが、今は自動車等で道路の遊びは禁止されている。羽根つきも然り。かるたとりは家の中でできるので、楽しめるのであるが、興味がないようである。
これらの遊びを楽しんでいるのは幼稚園である。先日も幼稚園の子どもたちと共に凧揚げ遊びをして楽しんだのであった。幼稚園からゆっくり歩いても30分で行ける距離に結構広い公園がある。そこで楽しんだのであるが、風向きによっては凧を飛ばせないこともあるが、幼稚園のお友達が遊ぶ凧は本格的な凧ではないので、そんなに高くは上がらないのである。むしろ走りながら小さい凧をあげるのである。今年は適度の風が吹いており、走らなくても凧があがるのであった。
本牧にある早苗幼稚園時代も凧揚げをしていた。本牧には山頂公園があり、かなり広い公園である。小高い山の上にあり、そこであげる凧はかなりの距離の高さにまでなる。凧も本格的なものあり、糸を伸ばせば見えなくなるほど高くあがるのであった。ドレーパー記念幼稚園時代は、こま回しや羽根つき、大かるた取りがお楽しみであった。1月になるとこま回し遊びが始まる。大ゴマ、中ゴマも、小ゴマがあり、まず園長が子どもたちの前で大ゴマを回して見せる。しかし、大ゴマ回しは結構難しく失敗することもある。言い訳しながら何度か挑戦したのであった。大かるたとりはA4版くらいのカルタがホール一面に置かれており、先生が読むカルタを子どもたちが駆けずりわって取るのであった。懐かしいお正月遊びであるが、今はなかなか見られない遊びでもある。
 今勤めている伊勢原幼稚園でもいろいろなお正月遊びをしている。慣れない遊びに挑戦し、できるようになった時のうれしそうな顔、共にうれしくなるのであった。お正月遊びばかりではなく、昔からの遊びは体のためにも、精神的にもよいのであるが、次第に消えていくのは、「あぶない」要素があるからでもある。それなら今の遊びだって注意しなければならない要素が多々ある。ゲームにしても、スマホにしても、使いすぎて目を損ねている子どもが多いのである。お正月遊びを思いっきりしたいものである。

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凧揚げ大会。広い公園で凧揚げを楽しむ。
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前任の幼稚園時代。小高い山の上からの凧揚げ。結構高くあがり
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前任の幼稚園時代。こま回しの見本を見せるのであるが…。
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前任の幼稚園時代。大かるた取り遊び。
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