隠退牧師の徒然記<513>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<513>
2019年12月30日「振り返ればお恵みの宝が…」


聖書の言葉
エスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。
新約聖書ヨハネによる福音書1章38節)


2019年の終わりを迎え、この年を振り返った時、お恵みの歩みであったと示されている。なにしろ今年は夫婦ともに80歳を迎えたのである。80年間の人生をお導きくださった神様に深く感謝しているのである。そして、夫婦は金婚式を迎えたのであるから、80年間のうち50年間は共なる歩みであった。共なる歩みを支えてくださったことも感謝している。
振り返ってみれば、神学校を卒業して最初の教会が東京の青山教会であった。同教会には主任牧師がおられたので副牧師として歩むようになる。連れ合いのスミさんは明治学院に勤めながら、羊子や星子を育てていたのである。青山教会は東京教区の西南支区に属し、その西南支区で知り合いになったのが、のちの日本基督教団の総会議長、山北宜久牧師であった。その出会いが山北議長となった時、私を教団書記に指名したのであった。それは最初の出会いから30年後になる。青山教会で4年間務め、その後は宮城県の陸前古川教会に主任牧師として赴任するのである。初めて主任牧師となり、使命を深めながら務めさせていただいた。この教会では6年半のお勤めであったが、最後の一年間は登米教会の牧師ともなる。二つの教会の責任を持ったのである。そして登米幼稚園の園長にもなるのである。陸前古川教会では幼稚園があっても園長にはならず、教会の務めに専念することであった。その頃、中学生、高校生であった皆さんが、その後立派に成長しているのであった。それは、今年の3月に40年ぶりに陸前古川教会の礼拝で説教をさせていただいたのであるが、昔の若い皆さんも出席され、久しぶりの再会を喜んだのである。
当初は幼稚園の園長を担わなかったが、今は、牧師を隠退しても幼稚園の園長を担っている。陸前古川教会の後は神奈川県の大塚平安教会に招かれ、牧師と園長を30年年間担ったのであった。同教会を退任した時、横浜本牧教会の牧師、園長を担うことになる。この務めは暫定的であり、半年後には正式の牧師・園長が就任したのである。その後、6年間は隠退牧師として過ごすことになる。ところが2016年から1年半、再び横浜本牧教会付属幼稚園の園長となり、その務めが終わるや伊勢原幼稚園の園長に招かれたのである。
このように職務の多い歩みであったが、共に歩んでくれた連れ合いのスミさんの支えは大きいと言える、古川で与えられた百合子と共に三人の子どもたちを育てながら、教会と幼稚園を支えてくれたのである。職務上、牧師の不在がある。その時には連れ合いのスミさんが対応してくれていたのである。一つ一つ報告したら枚挙ないとまがない。
今は六浦谷間の集会として夫婦二人で礼拝をささげるお恵みを与えられている。80年間の人生、50年間の共なる歩みを、感謝をもって振り返っているのである。

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自宅にて六浦谷間の集会が開かれている。
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共に傘寿を迎え、金婚式を迎えている。
noburahamu2.hatenadiary.org