隠退牧師の徒然記<608>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<608>
2021年10月25日「ある種は成長して百倍の実をつけ」

聖書の言葉
穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈りつくしてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかなければならない。(レビ記19章9節)


いつも気になっているのであるが、庭一面に蔓延る雑草である。春から夏にかけては、雑草は見る間に成長し、林とも思われるほど伸びるのである。だからやむなく草刈りをするのであるが、すぐにまた伸びて来る。夏の終わりころに草刈りをしたのであるが、もう雑草が生えている。しかし、秋の雑草は春のようには伸びない。庭一面が雑草となっているが、それほど伸びないので、草刈の意欲がわかないというところである。いずれ冬枯れとなり、雑草も刈れるのである。いつも思っていることは、結構な広さでもある庭なので、整地して種をまけば、けっこう野菜の収穫ができるのではないかと言うことである。そう思いながらも、なかなか土仕事に気持ちを向けないでいる。父は、畑仕事に余念がなかった。今は住宅になっているが、以前は山の中腹であり、そこを開墾して畑を作り、いろいろな作物を育てていたのである。戦後は食糧難で、父の畑からとれるサツマイモが代用食にもなっていた。その後、代用食ではなくでも、父の野菜は皆さんに喜ばれていたのである。収穫しては隣近所におすそ分けしていたのであった。いずれサツマイモでも育ててみようかと思っているのであるが。
サツマイモと言えば、今頃が「お芋ほり」の季節であった。いくつかの幼稚園に関わってきたが、秋になると「お芋ほり」に出かける。歩いて「お芋ほり」に出かけることが多かったが、中には大型バスに乗って遠くまで行く。三浦半島の山の上であり、東京湾や房総半島を眺めつつ、お芋ほりを楽しむのであった。三浦半島のお芋ほりは、いつまでも続けられるようだ。綾瀬市にある幼稚園に勤めていた頃、お芋ほりは小高い山の上に畑があり、歩いてもいかれる距離である。何年かそこでお芋ほりをしていた。都会の幼稚園がバスに乗って出かけてきていた。しかし、やがて畑は宅地となってしまう。それでも綾瀬、座間、海老名方面はまだまだ畑が多い。サツマイモの栽培をしてくれる農家もある。幼稚園も結構存立しているので、サツマイモ畑は幼稚園の「お芋ほり」のためなのかもしれない。土の中から大きなサツマイモを掘り、高々と持ち上げて収穫を喜んでいた子ども達が忘れられない。しかし、どういうわけか細い、小さなサツマイモしか掘らないお友達もいた。それでも、そんな小さいお芋でも、掘り上げる喜びは同じである。当初は、収穫したお芋をそれぞれが持って帰っていた。しかし、かなりの量であり、収穫したお芋は一堂に集め、車で幼稚園に運ぶ。そして、子ども達には均等に配布したのであった。秋の日差しの中で、お芋ほりを喜ぶ。秋の風物詩を思い浮かべる季節でもある。幼稚園の庭で焼き芋をしたり、クラスでは「きんとん」を作ったりする。それらも楽しい思い出となっている。もはや登山はしないのであるが、錦秋の山の風物詩は山の雑誌で示されるとしよう。

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一面の畑の中で、大地に触れて喜びつつお芋ほり。
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時には、落ち葉拾いや木の実拾いを楽しんで。
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焼き芋大会で胸を躍らせる。

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