隠退牧師の徒然記<609>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<609>
2021年11月1日「自分を反省しつつ」

聖書の言葉
「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。」
(コリントの信徒への手紙<二>13章5節)

今年の10月31日は日曜日であり、意義深い日となった。その日は宗教改革記念日なのである。この宗教改革があって今日のプロテスタント教会の歩みが導かれているからである。ローマ帝国がヨーロッパを作り上げたのであるが、その権力が衰退するものの、ヨーロッパ世界の各国々が発展していくのである。そして、力の支配が終焉した時、今度は信仰の中心となっていくのである。それがローマカトリック教会である。発展したローマカトリック教会であるが、権力支配はいつかは衰退していく。ヨーロッパ中世の時代、16世紀になるが、カトリック教会の堕落ぶりに心を痛める人々が現れる。その一人がマルチン・ルターであった。当時、教会は大きな教会を建設するために資金が必要であった。そのため「免罪符」を売り出すのである。そのお札を買えば、どんな罪でも許されるということである。人々は喜んで「免罪符」を買うことになる。そのことでマルチン・ルターは、カトリック教会のいろいろな問題点、95箇条を教会の扉に貼りだしたのであった。いわゆるカトリック(公同)教会に抗議(プロテスト)したので、プロテスタント教会が生まれたのである。それは今から500年前のことなのである。
その後、カトリック教会もプロテスタント教会も真の信仰を求めて歩んでいるのであり、どちらも大切な信仰の教会なのである。娘がスペイン・バルセロナに在住すること20年になるが、数回にわたり私たちもバルセロナに滞在している。娘はカトリック教会のミサの奏楽をするようになっている。出席できるプロテスタントの教会に出会わなかったのである。パロキアの教会、サグラダ・ファミリア教会のミサの奏楽を担当するようになっている。従って、私たちがバルセロナに滞在した時、ミサに出席したし、神父さんとも親しくお交わりをしたのであった。そのことで、今まで知ることがなかったカトリック教会の認識が深められたのであった。いろいろな体験をする中で、今ではカトリック教会の進歩的な歩みを示されるようになっている。
実は娘がスペイン人と結婚することになり、サグラダ・ファミリアで式をあげることになった。司式をしてくださる神父さんが、娘の父が牧師であることを知り、結婚式の共同司式を提案してくれたである。サグラダ・ファミリア教会でカトリックの神父さんとプロテスタントの牧師が結婚式の共同司式をする、前代未聞のことが行われたのであった。クリスマスにおいては娘が他のカトリック教会のミサの奏楽をすることになり、私たちも出席する。するとその教会の神父さんが、ミサの司式を一緒にするよう勧めてくれる。プロテスタントの牧師が、カトリック教会のミサの司式を執り行う、これも前代未聞のことである。日本のプロテスタント教会で、カトリック教会の神父さんに礼拝の司式を依頼することになれば、それはそれは長い時間、何日も議論していることであろう。
宗教改革記念日を示されながら、今の教会の歩みを示されている。

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娘の羊子がサグラダ・ファミリア教会でミサの奏楽をしている。
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神父さんと共に結婚式の司式を行う。
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ミサの司式、説教をする。通訳をする娘の羊子。
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カトリック教会のミサで聖餐式を行う。

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