隠退牧師の徒然記<705>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<705>
2023年9月4日「懐かしい教会を訪ねて②」

聖書の言葉
何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたのところで、互いに持っている信仰によって、励ましあいたいのです。(ロマ書1章10節)

40年ぶりに懐かしい教会を訪問したことを前回記した。もう少し書き加えておくことにしたのは、久しぶりに訪れた町は、知らない町を初めて訪ねた思いであった。40年も経ているのであるから、変化するのは当然であろう。新幹線の駅ができており、駅前はいくつかのホテルがあり、まったく知らない町に降り立った思いであった。約50年前、宮城県古川市にある教会からお招きがあったとき、面接で赴いたのである。東北本線の特急に乗り、東京の上野駅から小牛田駅まで約4時間である。その小牛田駅は陸羽線と交わっており、その陸羽線で山形方面に乗る。陸前古川駅は次の駅である。その頃、駅を降り立った時、町中に煙が立ち込めていたような、何となくうす暗い印象であった。ホテルなるものはなく、いくつかの旅館があった、教会の知り合いの旅館に宿泊したのである。そしてこちらの教会に就任することになる。その頃、家は東京の大田区、六郷土手近くの公団住宅に住んでいた。羊子と星子の二人の子供と我ら夫婦の4人で、車で宮城に向かったのである。東北道は込み合うと聞いていたので、六号線と言われる常磐道で向かったのである。一日で行かれるであろうが、小さい子ども達なので、どこかで一泊していくつもりであった。ところが二日目も夕刻になっており、古川には夜になってしまうので、松島でも一泊したのである。そして、朝になって古川に着いたのであった。予定では前日の夕刻には到着と言うことで、教会の数人の皆さんがお待ちくださっていたのであるが、翌日の到着は一人の婦人に迎えられたのである。その婦人は佐瀬春子さんと言い、何時に着くとも知らせてなかったので、朝からずっとお待ちくださっていたのである。そして、車から降りたとき、二番目の子供、星子が佐瀬さんに抱き着いたのであった。実は、東京にいるころは、連れ合いの母が子供たちの面倒を見ていてくれたのである。星子はまだ一歳半であり、おばあちゃんを間違えたようである。この佐瀬おばあちゃんには古川在任中、そしてその後も何かとお世話になったのであった。6年半のお勤めであり、転任の話が持ち上がったとき、この佐瀬おばあちゃんが、「先生は、こんな田舎にくすぶっているのではなく、中央で活躍すると思っていました」と転任を励ましてくれたのである。まさにその通り、中央の書記を担うことになり、つくづく佐瀬さんのお言葉をかみしめたのであった。古川在任中に三番目の百合子が与えられ、連れ合いのスミさんは三人の子育てを立派にしてくれたのであった。
古川時代を書き出すと枚挙にいとまがないが、とにかく、古川時代が牧師としての始まりであり、教会によって育てられたと思っている。羊子は小学校4年生で古川を後にしたのであるが、その時の担任の先生が羊子のコンサートにご来場くださったのである。羊子は小学校にも連絡しておいたので、古川から帰るとき、立ち寄ったのである。丁度、6年生が卒業式の練習をしているところであった。校長先生、教頭先生が応対して下さり、6年生の皆さんにピアノを演奏してご挨拶したのであった。今回はブログの趣旨、説教に関わることではないが、懐かしい思い出なので。

古川の小学校を訪問し、6年生の皆さんにピアノを演奏する。
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