隠退牧師の徒然記<683>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)時<683>
2023年4月3日「いよいよ牧師として」

聖書の言葉
恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。(使徒言行録18章9-10節)

牧師としての歩みをしている以上、いつまでも副牧師という訳にはいかない。やはり主任牧師として教会を担いたいのである。青山教会で4年を経たとき、神学校が紹介してくれたのが東北の宮城県にある教会である。今までの牧師は40年間もその教会の牧師と幼稚園の園長を担ってこられたのである。早速お招きに応えることにした。教会の牧師と共に幼稚園の園長も担うことになる。そのような覚悟を持っていたのであるが、教会からのお招きは、牧師の勤めだけでよろしいということであった。今までの牧師が園長も担っていたのであるから、当然、そのつもりでいたのである。教会は、園長は教会員の方がその道の経験者であり、新任の牧師には教会の勤めに専念してほしいというのである。当初の招聘条件とは異なるので、しばらく返事は保留にしていた。しかし、せっかく教会のお勤めだけでよろしいと言ってくださるのでお受けすることにしたのであった。そしていよいよ東北の教会に向かったのであるが、軽自動車のワゴン車で国道六号線を北上する。その頃。羊子は3歳であり、星子は1歳であったので、無理をしないで途中二泊もしながらに向かったのであった。
この陸前古川教会には6年半務めることになる。その就任式での祝辞が忘れられない。ある牧師が、東北の人々への伝道は、土地の人々に受け入れられることが大切であり、少なくとも10年は勤めなければならない、と言われたことである。なるべく土地の人々と接することである。近所のお葬式には必ず列席する。お清めの食事にも参加し、お経を唱えてはいただくのであった。そのように努力しながら土地の皆さんとの触れ合いを大事にしたが、結局、10年も在任することなく退任したのであった。在任中、やはり牧師として毎週日曜日の説教を司る。副牧師時代は月に一度の説教であったが、毎週講壇に立つことになる。説教に向かう姿勢をいつも模索しながら、日々の歩みが導かれたのである。一人の老婦人が、ある日の説教を聞かれて感想を述べられた。今迄、天国についてはもやもやした思いであったが、今回の説教を示されて、天国への希望がはっきりとしましたと言われる。その日は11月の召天者記念礼拝であり、キリスト教の死生観について聖書の示しを取り次いたのであった。説教が人生を導いていることを示され、いよいよ牧師として、説教者としての使命を深めたのであった。教会には若い皆さんも出席されるようになっており、自ずと若者に対する説教を心がけようになる。その当時、中学生、高校生であった皆さんが、その後、祝福の成長が導かれていることを示されるのである。今でも教会員として信仰の歩みをされている皆さんである。中には牧師になった人もいる。2019年3月に、久しぶりにこの陸前古川教会の講壇に立たせていただく。私たち夫婦が結婚50周年を迎えており、その記念として、古川を訪問させていただくことにしたのである。当日は礼拝説教を担当させていただき、午後からは娘の羊子のピアノリサイタルを開かせていただいたのである。40年ぶりの教会であり、そしてその後、信仰に生きる皆さんとの対面は大きな喜びであり、礼拝に向かう人生の祝福をいただいたのであった。

昔の陸前古川教会。今は新しい建物になっている。
陸前古川教会時代、野外礼拝でお話をする。

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