隠退牧師の徒然記<704>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<704>
2023年8月28日「懐かしい教会を訪ねて」

聖書の言葉
何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。あなたがたのところで、互いに持っている信仰によって、励ましあいたいのです。(ロマ書1章10節)

本当に懐かしい教会へ赴く。陸前古川教会である。2019年3月17日のことである。1973年4月から1979年8月まで牧師として務めた教会である。牧師として初めて牧会をになった教会である。その前の東京の青山教会では伝道師、補教師として就任する。その後、正教師になったが副牧師なのであり、いわば事務職が主でもあった。青山教会は4年間であったが、その後は宮城の教会に赴く。初めて、主体的に牧師として歩むことになったのである。この教会で6年半務めたが、いろいろな経験をすることで、随分と牧師として成長させていただいた。前任の牧師は40年間、教会牧師、幼稚園園長として務めたのである。だからこちらの教会のお招きをいただいたとき、教会の牧師と共に幼稚園の園長も担うと思っていた。しかし、園長は教会員が担うということで、幼稚園の職務はないことになったのである。と思っていたが、宗教法人立なので、教会が設置者であり、その代表役員でもあるので、幼稚園の責任者でもある、と言うことである。実際、宗教主任としてキリスト教の指導を行うことになる。そして、園児の送迎バスの運転もするようになるのであるから、幼稚園の職務に明け暮れるということになる。教会には若者の皆さんが多く出席していて、夏期学校や教会学校のイベントで楽しく過ごす。在任の最後の一年間は登米教会の牧師にもなり、付属幼稚園の園長にも就任したのである。のびのびと楽しく過ごした6年半であったが、神奈川県にある教会からのお招きがあり、宮城を後にしたのである。神奈川県の教会は、実家の両親にも近い距離なので願っていた教会でもある。宮城の教会は家族にとっても、皆さんとのお交わりがよりよく導かれ、子ども達も小学校、幼稚園時代を過ごしたことで思い出深いところとなったのである。その意味で、神奈川の教会で過ごすうちにも、一度は宮城の教会を訪ねたいと思っていたのである。
訪問が実現する。実は2019年は我ら夫婦の結婚50年の金婚式なのである。そんなことで、つらつら思っていたこと、50周年記念に宮城県古川を訪問すること、実施へと向かう。まず陸前古川教会に訪問の是非について問う。快く承諾してくれる。我が家の子供たちも大喜びであり、その頃にスペイン・バルセロナ在住の羊子家族が一時帰国することになっている。2019年3月17日に伺うことになったが、こちらの幼稚園の職務がある。当日は卒園式でもある。それで家族は16日の朝、ワゴン車で出発することにする。私は幼稚園の職務があるのでお昼頃に新幹線で向かったのである。17日の日曜日、礼拝には多くの皆さんが出席される。昔、在任していた頃、中学生、高校生であった皆さんがお連れ合いと共に礼拝に出席くださった。そして、午後は羊子のピアノリサイタルを開かせていただく。教会や幼稚園の関係者ばかりではなく、地域の新聞社まで取材に来ていた。このリサイタルも大勢の皆さんがご来場くださったのである。そして、その17日の夜は、昔からの教会員であり、支えてくださった髙橋義宣さんが、個人的に夕食にお招きくださり、ご自身のピアノ演奏、オペラ歌唱等でおもてなし下さったのである。もう少し、書き加えておこう。それは次回に…。

45年ぶりに宮城の教会で説教

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