隠退牧師の徒然記<539>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<539>
2020年6月29日「残念な思いを持ちながら」


聖書の言葉
エスが12歳になったなったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスエルサレムに残っておられた。
ルカによる福音書2章42-43節)

毎年、7月になると「お祭り」が行われる。地域の神社が中心となる。最近の町内の回覧板によると、今年は「お祭り」は行われないことになったということである、いわゆる新型コロナウィルス感染予防のため、「三密」を避けるためである。神輿を担いだり、屋台を曳いたり、それらの世話をしたりすることは、まさに「三密」になる。「お祭り」が開催されなくなり、何となく「ほっ」とした気持ちもあるが、一方、心残りもある。今頃になると、町内会館では祭りの練習が行われている。屋台で奏でられる笛や太鼓の練習である。夕刻になると練習が始められるようである。幼稚園の職務が終わり、六浦駅で降りて歩いて帰宅するのであるが、町内会館の横を通ってくるのであるが、お祭りの練習がいつも耳についていた。そして、7月のお祭りでは屋台に乗っては笛や太鼓を奏で、お祭りを盛り上げているのである。お祭りはやはり笛や太鼓の音が盛り上げ、お神輿の「ワッショイ」が気分を高めるのである。小学生の頃は、このお祭りには喜んで参加していたものである。日曜日に教会学校に出席し、帰って来るやお祭りに参加したのであった。子供神輿を担いだり、山車を曳いたり、休憩所ではご馳走を食べたり、楽しいイベントであった。子供たちは、結構お祭りを楽しむものだ。
前任の大塚平安教会で牧師の務めをしている頃、子どもたちはまだ小学生の頃であった。ある日、町内の役員の方が、お祭りの法被を届けに来た。子供用のお祭りの法被なのだ。我が家の子供が注文したのであるが、我が家はキリスト教であるので、お祭りの法被は要りませんと断ったのである。時々、そのときのことを思い出すのであるが、子供たちはお祭りを喜んでいたので、買ってあげればよかったと思っている。
夏になると町内では「盆踊り」が行われる。おそらくこの盆踊りも中止になるのであろう。昔から行われている日本の文化的イベントが中止になることは、やはりさみしい思いである。神道や仏教行事を理解し受け止めているということである。昔から行われている宗教的な行事は、日本の風物詩として残しておきたいと思っているのである。そのように日本の昔からの行事を理解し受け止めるようになったのは、娘がスペイン・バルセロナで生活していることもあり、何度か滞在しているからである。滞在するたびに、バルセロナのいろいろなお祭りを体験することになる。イベントと言っても人間の塔によじ登ったり、日本の案山子のような大きな張子の人形を動かすのであるが、多くの人々が集まり喜びを共にしているのである。カトリックの国であり、お祭りと言えば、聖人に関するイベントなのであるが、その聖人を知らなくても、お祭りということで、お友達を招き、ご馳走を食べ、楽しく過ごしているのである。喜び合うこと、そこに人間関係の祝福があるからだ。

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昔からのお祭り。神輿で盛り上がりを示している。
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山車もまたお祭りの中心でもあり、昔懐かしい思いがある。
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バルセロナのお祭り。大きな人形を動かして楽しむ。
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バルセロナのお祭り。人間の塔、高い塔を競い合う。
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