隠退牧師の徒然記<563>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<563>
2020年12月15日「クリスマス物語を示されながら」


聖書の言葉
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ルカによる福音書2章6-7節)


今年もクリスマスの時期となっているが、10日もすれば25日となり、イエス・キリストの出現のお祝いとなる。出現した日とは言わない。現れたことを喜び、25日に喜びの礼拝をするのである。クリスマスといえば12月25日であり、イエス・キリストが生まれた日と思われているが、25日は誕生日ではないのである。実際、西暦はキリスト歴と言われているように、イエス・クリストが出現した日をもって始まるのが西暦であり、そのように示されれば25日が誕生した日となるが、2000年前の記録は明確ではないということである。しかし、そのころに誕生したことは確かであり、救い主の出現であり、喜びつつ礼拝をささげる日を25日としたのである。ChristmasはChrist(キリスト)をmas(礼拝)する日としたのである。一般にはイエス・キリストの誕生日と理解されているが、まあ、それはそれでも良いと思っている。クリスマスということで、喜びあうことは結構なことなのでもある。しかし、クリスマスなのであるからイエス様の存在を示されながら喜びたいたいのである。
今はクリスマスを待つ日であり、キリスト教では待降節としている。「降」としているが、神様から与えられる救い主が「降る」という意味なのであり、その救いを待つ時となっているのである。イエス・キリストは救い主としてこの世にあらわれたのであり、その喜びを示すのが25日のクリスマスということである。今はクリスマスの飾りも賑やかに、待降節を過ごしているのである。最近はクリスマス飾りの賑やかな街を歩くこともないが、家にいるだけでも賑やかな状況が示されるのである。クリスマスツリー、イルミネーション、いろいろな飾り等を見るが、日本においては、クリスマス物語はあまり飾られていないようである。すなわち、クリスマスマの中心は馬小屋であり、その中心に置かれている飼葉桶、そして飼葉桶に寝かされている赤ちゃんイエス様、飼葉桶の両脇にはマリアさんとヨセフさん、そしてお告げを受けて駆け付けた博士さん達と羊飼いさん達、そして馬や牛、羊の動物達がイエス様を見つめている状況の絵や置物で飾られている。バルセロナ待降節の時期に滞在したことがあるが、クリスマス前には露天商が立ち並び、馬小屋物語の人形、グッズが並べられているのである。そして、教会にも商店にも馬小屋の飼葉桶が飾られている。しかし、飼葉桶には救い主のイエス様いないのである。まだクリスマスではないからである。そして、25日になると飼葉桶にはイエス様が存在する。人々の喜びとなるのである。飼葉桶は動物たちのお茶碗である。その茶碗に神様のイエス様、救いの源が存在する。神様のお言葉をいただくことで養われる人間として示されるのである。飼葉桶は私たちの心でもある。私たちの心に救い主が存在することを喜ぶことがクリスマスということなのである。

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バルセロナの通りに飾られているアドベント・イルミネーション。
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クリスマス前には露店商が並び、クリスマスグッズが並べられている。
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町中に飾られている飼葉桶物語。等身大のマリアさんとヨセフさん。飼葉桶にはイエス様は、まだ存在しない。

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