隠退牧師の徒然記<571>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<571>
2021年2月9日「幼き存在に励まされ」


聖書の言葉
子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
新約聖書・エフェソの信徒への手紙6章1-4節)


風邪を引いてしまう。前週の火曜日の夕刻には38度の熱があり、もしやコロナではと疑う。もはや夕刻であり、翌日になってかかりつけの医院に行く。受け付けで熱があるので診察してもらいたいと告げると、外で待っていてくださいと言われる。そこに看護師さんが来て、いろいろと様態を聞き、コロナを検査する医院を紹介してくれるのであった。同じ金沢区であったが、タクシーに乗ってもかなりの距離であった。そこでも正規の受付ではなく、医院の裏口で呼び鈴を押し、来院を告げたのであった。そのように指示されていたのである。そして看護師さんが出てきて、検査の用具を渡してくれる。鼻の中に入れる検査用具である。そしてしばらく待つこと30分である。外ではあるが、屋根があり、ベンチも置いてあるので、そんなに寒いとも思わなかった。しかし、コロナの検査ということで、どこの医院も中には入れてくれない。いずれも外で問診し、検査を行ったのであった。結果はコロナでもインフルエンザでもないということであった。そこで、初めて医院のなかに入れてくれて、個室であるが医師の説明を聞いたのであった。いわゆる風邪であるからと四日分の薬を処方してくれた。水曜日から毎日飲み続けているうちにも熱が下がり、元気が出てきたというわけである。
結局、一週間も幼稚園の職務を休んでしまった。もっとも、健康体であっても幼稚園の執務は週三日、月・水・金曜日である。週三日でも子どもたちとの触れ合いが喜びであり、元気をいただいているのである。「エンチョー センセー」との呼び声を背中にもらいながら、園内を行き来している。その元気な声も3月が終われば、いただけなくなる。退任することになっているからである。5月にもなれば82歳にもなるので、この年齢まで務めさせていただいたことに心から感謝している。29歳で牧師になったが、いずれの教会も幼稚園があり、園長であったり、設置者であったりで、結局50年間は牧師であり、同時に幼稚園に関わってきたのである。子どもたちと過ごしたことで、元気にお勤めを果たすことができたと思っている。
私達の孫が2月12日で満4歳になる。その孫はスペインにいるのであるが、今は便利な世の中であり、インターネットでいつも会うことができ、お話をしているのである。ラインには動画も載せられているので、連れ合いのスミさんには、いつもラインを見ては、画面の孫に話しかけているのである。コロナの前は年に1、2回は帰国していたのであるが、残念ながら今は帰国できないでいる。
希望の子どもたちを祈る日々である。終業と始業を前にしているので…。

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早苗幼稚園時代。お友達と礼拝をしながら…。
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現在の伊勢原幼稚園のたたずまい。
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ドレーパー記念幼稚園のただずまい。30年間も務めさせていただき…。
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スペイン・バルセロナの孫、義也君。幼稚園の前で。

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隠退牧師の徒然記<570>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<570>
2021年2月1日「思い出す限り、スキーの経験がなく…」


聖書の言葉
主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。
旧約聖書詩編121編5-6節)


1月も終わり、2月の歩みとなるのであるが、寒い時期であり、今回も寒さに関わる思い出を記しておこうかと思う。今も、日本海側の地域は雪が降り積もり、困難な生活をされているようだ。そのことについては、前のブログでもふれたが、関東地方でも三浦半島の入り口あたりに住んでいるので、雪との闘いはない。日々、温暖な静かな生活なのである。都会の人間は、雪でも降ると何となく嬉しくて、ロマンチックな気分にもなるのだ。雪国の皆さんには申し訳ない気分になるということである。
宮城県古川市で生活したのは、かれこれ50年前にもなる。都会から寒い地方に住むことになり、経験のない雪降りの日は、じっとしていられないほどであった。その頃、子供たちも小学生、幼稚園の時代であり、雪遊びを楽しんだものである。古川市は寒いと言っても、そんなに雪が積もるわけではない。それで1月になると、牧師家族会が開かれ、鳴子温泉に集まる。仙台の北を仙北地区と称し、地区内には七つの教会が存在していた。その牧師家族の子どもたちためにも、一年に一度は鳴子温泉に集まることになる。温泉に入り、楽しい夕食をいただき、翌日は雪遊びをして帰るのであった。鳴子にはゲレンデがあり、スキーやソリ遊びが楽しめるのである。我が家の子どもたちもスキーやソリで楽しんでいた。それで、私もスキーとやらを楽しもうと、ゲレンデにでかける。すると連れ合いに厳しく止められるのであった。その時、連れ合いもスキーを楽しんでいたのであるが、私がスキーをすることに反対したのは、スキーの経験もなく初めてなので、滑降中に足でも折ったら、帰りの車をだれが運転するのか、ということなのである。確かにその通りなので、家族のみんなが雪遊びを楽しんでいるとき、私は休憩所のストーブの前で暖を取っていたのであった。
その後、神奈川県内の幼稚園の園長になり、毎年冬になると卒業遠足として雪遊びに出かける。富士山のふもとに日本ランドという雪遊び場があり、毎年出かけていた。しかし、楽しい雪遊びであるが、ただ見ているだけでソリ遊びなるものはしていない。「足でも折ったら」との、昔の警告がいつもよみがえってくるのである。要するに、降雪を経験し、スキー場にも出かけているのに、スキーもソリも楽しんだことはなく、しかし、雪国を楽しませていただいたと言うことなのである。まあ、それはそれで寒い時期の懐かしい思い出でもある。

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約50年前、宮城県古川教会時代、鳴子のスキー場で雪遊びを楽しむ子供たち。
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富士山のふもと、日本ランドで雪遊びを楽しむ幼稚園のお友達。

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隠退牧師の徒然記<569>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<569>
2021年1月26日「お正月遊びを楽しみつつ」


聖書の言葉
今の時代は広場に座って、ほかの者に呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」
新約聖書・マタイによる福音書11章15-17節)


もはや「お正月」という言葉は出てこないが、その名残があることを喜んでいる。いわゆる「お正月遊び」というものである。どんな遊びか、説明しなければならなくなっている今である。こま回し、羽根つき、凧揚げ、かるたとり等である。まったく遊ばれなくなったのではなく、時には遊んでいるのを見る。昔は1月ともなれば、結構見られた遊びでもある。しかし、今は、場所の問題があるのかもしれない。凧揚げと言っても、広い場所が必要だし、公園と言っても周りが住宅で、凧揚げもそこそこの高さである。こま回しも、以前は道の真ん中で楽しんだが、今は自動車等で道路の遊びは禁止されている。羽根つきも然り。かるたとりは家の中でできるので、楽しめるのであるが、興味がないようである。
これらの遊びを楽しんでいるのは幼稚園である。先日も幼稚園の子どもたちと共に凧揚げ遊びをして楽しんだのであった。幼稚園からゆっくり歩いても30分で行ける距離に結構広い公園がある。そこで楽しんだのであるが、風向きによっては凧を飛ばせないこともあるが、幼稚園のお友達が遊ぶ凧は本格的な凧ではないので、そんなに高くは上がらないのである。むしろ走りながら小さい凧をあげるのである。今年は適度の風が吹いており、走らなくても凧があがるのであった。
本牧にある早苗幼稚園時代も凧揚げをしていた。本牧には山頂公園があり、かなり広い公園である。小高い山の上にあり、そこであげる凧はかなりの距離の高さにまでなる。凧も本格的なものあり、糸を伸ばせば見えなくなるほど高くあがるのであった。ドレーパー記念幼稚園時代は、こま回しや羽根つき、大かるた取りがお楽しみであった。1月になるとこま回し遊びが始まる。大ゴマ、中ゴマも、小ゴマがあり、まず園長が子どもたちの前で大ゴマを回して見せる。しかし、大ゴマ回しは結構難しく失敗することもある。言い訳しながら何度か挑戦したのであった。大かるたとりはA4版くらいのカルタがホール一面に置かれており、先生が読むカルタを子どもたちが駆けずりわって取るのであった。懐かしいお正月遊びであるが、今はなかなか見られない遊びでもある。
 今勤めている伊勢原幼稚園でもいろいろなお正月遊びをしている。慣れない遊びに挑戦し、できるようになった時のうれしそうな顔、共にうれしくなるのであった。お正月遊びばかりではなく、昔からの遊びは体のためにも、精神的にもよいのであるが、次第に消えていくのは、「あぶない」要素があるからでもある。それなら今の遊びだって注意しなければならない要素が多々ある。ゲームにしても、スマホにしても、使いすぎて目を損ねている子どもが多いのである。お正月遊びを思いっきりしたいものである。

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凧揚げ大会。広い公園で凧揚げを楽しむ。
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前任の幼稚園時代。小高い山の上からの凧揚げ。結構高くあがり
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前任の幼稚園時代。こま回しの見本を見せるのであるが…。
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前任の幼稚園時代。大かるた取り遊び。
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隠退牧師の徒然記<568>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<568>
2021年1月19日「時には雪国のように」


聖書の言葉
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください。わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。
旧約聖書詩編51編9節)


今年ばかりではないが、冬ともなれば、日本海側の地域では雪が降り、大雪にもなる。いつも雪の被害が報道されている。積雪で車が通行できなくなり、1000台も立往生したとか、屋根の雪下ろし中に転落し、雪に埋もれてしまったという、そんな報道をいつも示されている。毎年、大雪が降り、積雪の被害があるのだから、それなりに対策を立てたらよいと思ってもいるが、自然には勝てないのである。
雪国の皆さんには申し訳ないのであるが、住んでいる地域は比較的に温暖であり、雪なるものは降ることが少ない。しかし、時には積もるほど降る場合もある。数年前であったが、かなり積もり、道路の雪かきをするのが大変であった。近所の皆さんも総出で雪かきをするのであった。前任の綾瀬市に住んでいる頃も、こちらとはそんなに気候が変わらないが、こちらよりいくらか寒いようである。何度か積雪の時があった。教会の前の道路は緩い坂道になっている。そのため、積雪になると、自動車の走行が危険になる。都会の皆さんは雪に慣れてなく、積雪対策もしてないので、雪が降っても普通タイヤで走行する。緩い坂道でも積雪時では走行が危険なのである。立ち往生してしまい、渋滞となってしまうのである。
めったに雪なるものは降らないが、降ったとしても、すぐに溶けてしまうのである。いわば都会育ちで、宮城県の古川にある教会に赴任する。4月に赴任し、秋が過ぎ、冬ともなったとき、雪の降る日を経験するのである。朝から一日中降っている。そんな雪の降る状況が珍しく、書斎の机に向かっても落ち着かなく、窓辺によっては降雪の外の様子を眺めていたものである。しかし古川という町は、太平洋側になるので、そんなに積雪があるわけではない。少し降ってはやみ、またしばらくすると降雪となる。だから道路はいつもぬかるみになっている。雪は降らないが寒さが厳しかった。いつも道路は凍結している。当時はスパイクタイヤが使用されており、凍結道路でも滑らないのである。しかし、その後、このタイヤは道路を削り、人体に影響があるので使用中止になるのである。凍結した道路をスパイクタイヤであるので、安心しつつ、喜びつつ走行したものである。その頃、教会の牧師の務めを持っていたが、そんなに忙しくもないので、幼稚園バスの運転をする。マイクロバスで雪道を走行したのであるが、その頃の若さを思い出している。
神奈川県に住むようになり、雪が降っても普通タイヤで自動車を走らせている都会の皆さんには驚く。都会の皆さんはタイヤ用のチェーンはもっていない。めったに雪が降らないので必要ないのである。しかし、持っていてもチェーンの付け方を知らないのである。雪の日は車に乗らないことである。降雪時の困難を経験しているが、懐かしさもあるのである。

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数年前には大雪が。

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慣れない雪かきで汗を流し。
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隠退牧師の徒然記<567>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<567>
2021年1月11日「思い出を楽しみつつ」


聖書の言葉
こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こし、絶えず感謝しています。
(エフェソの信徒への手紙1章15-16節)


成人の日が今年は1月11日になっている。以前は15日に固定されていたが、祝日法が制定され、日曜日につなげて連休としているのである。その成人の日には、成人式に臨んだ幼稚園の先生になったばかりの方が、その晴れ姿でご挨拶に来られたものである。その度にツーショットで記念写真を写し、祝儀を差し上げる。そんな楽しい思い出があり、成人の日は、しばし美しい着物姿の皆さんを思い出しているのであった。今は、もちろんどなたも晴れ姿で来られることはないが、思い出だけでも楽しいものである。写真も残されているが、戸棚にしまい込んであるアルバムを探すのは大変である。
この時、楽しい思い出と言えば、お餅つきがある。1979年に大塚平安教会に赴任し、同時にドレーパー記念幼稚園の園長にも就任する。就任して2、3年後になると思う。知人の園長が、この時期になるとお餅つきをしているとのお話を聞くのである。それなら我が幼稚園でもやろうということになる。本来なら、臼の手配とか、いろいろな準備が必要であるが、簡単にお餅つきの開催に踏み切るのは、臼があるからである。私の実家の物置には、しばらく使っていない臼が眠っているのである。昔は、私の小学生くらいだと思うが、我が家でもお餅つきをしていた。近くに親せきが3軒もあり、それらの家も含めてお餅つきをするのである。それこそ一日がかりで行われていた。つきたてのお餅は本当においしいものである。その後、両親も高齢になりつつあり、餅つきなるものは行われなくなった。その後、お餅なるものは商店で売られるようになり、苦労してお餅つきをしなくなっていくのである。餅つきの機械まで登場するようになるのである。そういう中で、いろいろな団体や、幼稚園等がお餅つきを行うようになるのである。幼稚園で、園児たちのお餅つきは楽しいひと時になる。ドレーパー記念幼稚園でお餅つきを行い、子供たちも喜んだのであるが、先生たちの反省会では、とにかくいろいろと大変であるということであった。幼稚園では男性は園長だけであり、もちろん女性の先生たちも力を振り絞ってお餅つきをするのであるが、力負けもある。翌年も続けたのであるが、その後は行うことはなかったのである。
数年後、教会学校が開催するようになり、教会も壮年会や婦人会も参加するようになり、教会の大きな取り組みになっていくのである。毎年、1月になるとお餅つきとなるのである。そして、幼稚園にも呼びかけられているので、当日は大勢が集まり、お餅つきに関わりながら楽しく過ごすのであった。
成人式、お餅つき等、新年の楽しい取り組みも、今年もコロナ感染予防に留意しなければならないので、開催は困難であるが、思い出をしっかりと味わっておくことにしよう。

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前任の幼稚園時代、楽しいお餅つき大会を開催。
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お餅をこねこねするのは楽しいです。
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つきたてのお餅をおいしく、食べやすくしています。
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出来上がったお餅を家族で楽しく食べています。これらの写真は昔の記録ですが。

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隠退牧師の徒然記<566>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<566>
2021年1月4日「新しい年を迎えて」


聖書の言葉
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び踊れ。わたしは創造する。(イザヤ書65章17-18節)


新しい年を迎え、例年であると、それなりに新年の抱負を述べるところであるが、今回は抱負も持てない。昨年に発生した新型コロナウィルスは依然として猛威を振るっており、新しい年も感染予防に留意しつつ歩むことの決意を述べるにとどまるのである。しかし、この状況下で、人間は、それなりに新しい生き方を生み出していくので、今はいろいろな新しい生活の仕方を試みているのである。
クリスマスは一般的にはもちろん終わっているのであり、今はどこの家も松飾りである。ところが我が家の玄関にはクリスマスリースが掲げられている。まだクリスマスを飾っているというので、怪訝に思い、苦笑される方もあるであろう。確かに一般の社会では、もはやクリスマスは忘れられる頃である。しかし、キリスト教ではまだクリスマス期間なのである。クリスマスは12月25日なのであるが、東の国から来た占星術の学者たちが救い主イエス・キリストのもとに来て拝んだのは1月6日であると信じられている。ヨーロッパの伝統的なカトリック教会では1月6日を顕現祭、栄光祭として、むしろクリスマス以上に騒いでお祝いするのである。年末から新年にかけてスペイン・バルセロナに滞在した時がある。その時に賑やかな顕現祭を経験している。実はその顕現祭のお祝いの場を見学したかったのであるが、バルセロナに在住している娘から、危険であるから行かない方が良いと言われ、家にいながらテレビでその様子を見たのであった。スペインであるので、三人の学者さんが地中海を船に乗ってやってくるのである。その姿を見たとき、王様が来たのかと思った。三人の学者さん達は社会的にも指導者であり、そういう意味でも王様のような存在になったのであろう。王様の供の者たちが人々にお菓子を配っているのである。このありがたい場に集うことが喜びなのであるが、さすがに今回は人が集まることは禁止されるようである。今は変異したコロナウィルスに感染予防しなければならないからである。
日本の教会も、クリスマスは1月6日までとして、クリスマス飾りが続いている。しかし、日本は「新しい年」ということで、過ぎ去ったことにはこだわらない傾向もあるので、教会もクリスマスが終われば飾りは撤去するところもある。いつまでもクリスマスではないのである。そのような状況であるが、我が家では1月6日まではクリスマスとしているのである。今回のクリスマスには知人はどなたも来られなかった。そして、新年を迎えたが、我が家の子どもたちは職務上休むことができないので誰も来ない。まだクリスマスリースを飾りながら、私達、老夫婦は静かな環境を喜びつつ過ごしているのである。車の往来もなく、飛行機の騒音もなく、本当に静かな環境を喜びつつ、新しい年も元気に過ごそうと…。

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バルセロナの顕現祭。三人の占星術の学者たちがやってくる。2015年の写真。
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顕現祭の賑わい。2015年の写真。
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顕現祭まで鈴木家の玄関にはクリスマスリースが。
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この道の先は行きどまり。静かな環境の中で。
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バルセロナにいる孫の義也とは、いつもオンラインで対面している。

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隠退牧師の徒然記<565>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<565>
2020年12月29日「喜びへと一歩また一歩」


聖書の言、葉
わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わなければならない。誰も働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。
ヨハネによる福音書9章4-5節)


12月21日は冬至であった。この冬至に向けて日々暗い道を歩んでいたのである。幼稚園には週三日赴いている。朝は4時頃には起きている。いろいろと朝の支度をして家を出るのは5時30分頃である。まだ外は暗い。まだ暗い夜道を歩くのであるが、それでもちらほらと人影がある。今頃から駅に向かう人は、おそらく東京方面や遠くの務めなのであろう。私の場合も家から幼稚園まで電車を利用して2時間を要する。京急線六浦駅の5時50分頃の電車に乗る。次の駅、金沢八景駅で特急電車に乗り換え横浜へ。横浜駅の端から端まで歩き相鉄線へ。そこから海老名行きの急行に乗る。京急線ではほとんど座ることはできないが、混雑はしていない。相鉄線は下り線の始発であり、乗る人もそんなに多くはなく、必ず座れる。座ると間もなく眠ってしまう。約30分、海老名駅につく頃に目が覚めるのである。相鉄線海老名駅は工事中であり、回り道をしながら小田急線に向かう。小田急線は結構な混雑ぶりである。7時30分頃になっており、そのころは学生の皆さんも多い。伊勢原駅海老名駅から三つ目である。そして歩くこと10分くらいで、8時頃に幼稚園につく。2時間は要するのである。もちろん、そのころには明るいのであるが、家を出るときには暗い夜道であり、ひたすら思うことは、冬至になれば、それからは次第に明るくなるということである。冬至までは暗さが増していくのである。そして、冬至からは次第に明るくなってゆく。2月、3月ころには明るい朝の道を歩くことになるのである。冬至を迎え、これからは次第に明るくなってゆく朝の道を楽しみにしているのである。
冬至と言えば「柚子湯」である。我が家の庭には柚子の木があり、このころになると柚子の実が鈴なりになる。子供たちが来ては収穫をする。職場の皆さんや近所の人に差し上げて喜ばれているという。柚子はそんなに用途がないと思うが、飲み物に入れるとか、料理の付け足しにするとか、ジャムにする人もいる。一番好まれるのは「柚子湯」である。近所の家にも「柚子湯につかってください」との口上で差し上げている。それにしても毎年のことながら多量の柚子の収穫を喜んでいるのである。
そんなに広くもない庭であるが、三つの大きな喜びがある。今頃になると柚子の収穫である。そして、春の息吹が始まるころは蕗(ふき)の群舞である。庭一面に蕗の傘が立ち並ぶ。希望される近所の家には自由に収穫してもらっている。こちらから差し上げることはない。蕗の料理は渋で手が汚れるし、好まない家もある。そして、蕗がまだ最盛期であるが源平桃の花が咲くのである。鈴なりのゆずの実、庭一面に群舞する蕗の傘、そして赤と白の花が仲良く咲く源平桃の花、喜びが一歩また一歩と、繰り返されているのである。

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秋が深まるころ、庭には柚子の実が鈴なりに。
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早春ともなれば庭一面に、蕗の傘が群舞する。
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蕗の終わりころになると源平桃が咲き乱れ。

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